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カテゴリ:史跡
続々3月4日
海上の風にあたって、酔いもスッカリ醒めたので???車を走らせた。 当初は須磨辺りの史跡を周るつもりでいたが、時計の針は午後3時を過ぎているのでまたの機会にしよう。 明石から三宮方面へ海岸沿いの国道2号線で向かう。 本当にこの日の海は最高に美しかった。 波間にキラキラと陽光を煌めかせて眩しく、細める目に安らぎすら覚える。 目的地は湊川神社である。 が、ナビの画面に「清盛塚」の文字を発見。そちらへ向かった。 住吉神社の中に「清盛塚」はあった。 今までに見たことも無いような非常に大きい十三重塔が圧巻である。 神社の前の橋の欄干をみると大輪田とあった。 私は清盛時代についてはあまりよく知らないが、大輪田の泊は聞いたことがある。 住吉神社は海の神様で海岸に在る事が多い。 恐らく清盛全盛の時期にはこの辺りが港で貿易も栄えていたのではなかろうか? 初めて湊川神社へ詣でた。 外から観るのとは違って内部はさほどの規模では無い。 水戸光圀の楠木正成を顕彰した碑があるくらいで幕末に多くの勤王の志士が参った神社と言うにふさわしい雰囲気は無いように思えた。 湊川神社から1km程歩くと湊川公園がある。 この公園は道路を跨いだ高架になっている。公園の上に高架があるのはよくあるが公園自身が高架とと言うのは珍しい。 雰囲気が良くない、広場になっているが健康的な印象を受けない。 公園の奥へ進む。楠木正成の像がある。非常に立派な像である。 が、雰囲気がよくない。像の下にはホームレスの家財道具が占有していて近づきにくい。 そばに聖徳太子像があったが聖徳太子は震災で倒れ、今は馬だけの像しかない。これも如何なものか? 像の反対がへ行くと新開地商店街のアーケードになっている。 湊川神社の地下駐車場に車をとめているので、アーケードを抜けて多聞通を歩く。 途中、桜筋 柳筋があって、男性には垂涎の高級ソープ街である。私には用は無い。 平安時代末期 福原は日本の首都であった。 今は猥雑な街になってしまっている。 歴史のある神社や銅像が町の雰囲気で値打ちを落としているように思えた。 見物を済ませ、帰途についた。 自宅まで帰って車を置き、駅前で今日の反省会。 息子を交え、3人でおおいに語った。そしてベロンベロン。 息子とオテテ繋いで帰ったのであった。 この日のお出かけは河井継之助の足跡を辿る意味もあるのだ。 塵壺の一節を以下に ナダへ出、酒屋之多して 大なると、樽木を積と移(夥 ) 敷物なり、右に广耶山之 観音を見て、生田明神を(へ) 拝し、湊川楠公之墓 いつし、 兵庫ニ宿ス 兵庫之東、半道計手前之処ニ舟附アリ、 反 大船アル、追 可記 是より後ハ松山ニテ、只覚アルヲ記スル 十二日 終日風強曇 兵庫を立て築島を見、清盛 之墓を尋、須麻寺を右ニ見て アツモリ之墓 イツシ、一ノ谷ヲ通り、舞 子之浜 掛り、松林之景、面白事 なり、明石ニ到り、忠度ノ墓を見て、 人丸之社ニ登り、好風景なり、 城之濠際 下る、淡州前ニ アリ、須麻之浦よりハ三里、明石よりハ 一里、望遠鏡ニあらさるモ、家并迄 能見、此辺之風景、名アルモ 宣ナリ、淡州之大なるニハ案之外也、 写真は楠木正成像 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年03月17日 09時21分38秒
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