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カテゴリ:史跡
梅雨の最盛期を思わせるこの頃、雨と蒸し暑さ、日が射せば暑すぎて出かける意欲が殺がれてしまう。
この日は梅雨の中休みで気温も多少低いので、O君と出かけることにした。 とは言っても夏空の下はハイキングの場所をよく吟味しなければ高齢の私達は熱中症で倒れてしまう。 以前から京阪電車の中吊りに「比叡山ワンデイチケット」の案内があったので、これを利用する事にした。 最寄りの京阪電車の駅から比叡山周遊の交通費が約半額なのである。 約束の枚方市駅10時半の1時間半前に家を出て、淀川沿いを歩く。 むせ返るような草いきれの中を抜け、川面の近くを歩くとやはり涼しくて快適に歩ける。 午前11時過ぎに京都三条に降り立ち、先ずは腹拵えである。 お気に入りのお好み焼きの店「将月」に入る。 久しぶりの「将月」の焼そばと豚玉とビールはやはり美味かった。 少々長居をしすぎて、再び三条駅に着いた時には1時前になっていた。 出町柳から叡山電車に乗り継ぎ、ケーブルカーとロープウエイで山頂まで行く。 標高800mを越える比叡山は涼しく、快調な足取りで延暦寺を目指す、 比叡山延暦寺といえば根本中堂ということになる。 根本中堂へは過去に数回行ってはいるが、今回は西塔から攻めてみた。 西塔を歩きながら我々の話題は最澄ではなく、空海の話が中心になる。 桓武天皇の庇護の下、最澄は仏教界の頂点のような存在であったが、空海によって真言密教を唐から伝承され、密教ブームがおこり、最澄の存在がかすみを帯びてくる。 現代でも浄土真宗・浄土宗・真言宗や臨済宗・曹洞宗などの寺院にはよくお目にかかるが天台宗の寺院には滅多に出会うことがない。 法然や親鸞は比叡山で修行の後、それぞれの宗派を開山しているが、天台宗の存在が薄いのはどういう訳であろうか? 仏教界のことについては興味はあるものの詳しく調べた訳ではないので、天台宗のことが疑問に思うのである。 数年前に高野山に行った時、山上は町をなし、多くの建物や学校があり、どこも多くの参拝者・観光客で賑わっていたのと比較すると比叡山は寂しい。 西塔を歩いてしかもしれないが、忘れられた存在のようにも思える。 西塔の伽藍を巡っていると、少し離れたところに黒谷青龍寺があり、法然が青年期に修行した寺であると解説されていた。 京都 黒谷 金戒光明寺が好きな私は法然にも惹かれる。 当然のようにその青龍寺へ向かうのであった。 西塔から細く登り下りのある道を息を切らせながら歩く。 ようやく ようやく という感じで辿り着いた時、本堂の扉が閉ざされ、本尊をじっくり拝むことができなかった。 本堂の脇にはここで修行をしていた若い法然の像があったりはするが詳しい解説などあるわけでもなかったので、もと来た険しい道のりを引き返すのであった。 金戒光明寺が黒谷と言われているが、ここは元黒谷と言われるそうである。 この日、山上から眺める風景は湿度の為か霞んでいる。 空気が澄んでいれば格別な風景が観れると思うのだが残念だ。 その後、根本中堂まで行き、伽藍を一巡する。 ここには延暦寺で修行した僧の解説がある。 法然・親鸞・栄西・日蓮・空也上人など高名な僧は皆ここで修行をしていて、当に仏教修行の最高峰といえるようである。 私自身いい歳になって来て、仏教に興味が有るのだが、何から始めればよいのかよく解らない。 今まで数多くの寺院を回ってきたが、少しも身になっていない。 解らないながらも少しでも仏教のことについては近づいて行きたいとは思うのである。 延暦寺を後にし、京都三条で食事をする。 ほろ酔いで三条通りを駅に向かって歩いていると、池田屋が居酒屋として営業していた。 幕末の池田屋を再現しているわけでもないので、とりあえず写真に収めて帰途についた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年07月06日 18時25分46秒
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