テーマ:映画館で観た映画(8360)
カテゴリ:映画
1946年に力士として初入幕。 1949年には関脇まで昇進。 1950年、自らまげを切りプロレスに転向。 1952年、単身米国へプロレス修行へ。 1953年、テレビ放送開始とともに日本一のヒーローとなる。 50年にまげを切った理由は、大関昇進が朝鮮人であったことから相撲協会に阻止されたことだった。 力道山は戦前の朝鮮半島(現北朝鮮)から、長崎県大村市の農家の養子となり、朝鮮名キム・シンラクから、百田光浩という日本の戸籍名を持つ。 53年の街頭テレビによる初のプロレス中継で力道山を観るために集まった民衆。 僕が生まれたのが57年。僕が3歳の頃に我が家に白黒テレビがあり、力道山の空手チョップとON時代のナイター中継に釘づけになった。 1963年12月8日に赤坂のキャバレー『ニュー・ラテン・クウォーター』にて暴力団員に刺され、山王病院に入院。傷の経過が悪く12月15日に死亡した。 かろうじて僕は力道山の晩年を知っている貴重なオヤジである。 テレビによる、プロ野球中継やプロレス中継が唯一の娯楽だった時代。 今考えればある意味情報操作に近い。 あのとき、仮に日本人が卓球に熱狂していたら、今の中国みたいになっていたかも知れない。 そんな時代に戦勝国米国の巨漢のレスラーを空手チョップで痛快に倒す力道山の人気は想像を絶するものがあった。戦後の復興に身も心も捧げ消耗していた日本人の夢や希望を白黒のブラウン管の中の力道山が代弁していた。 彼が朝鮮人であったことは、死後までごく一部の人間しか知らなかったという。 僕もつい数年前に知った。戦後の復興史とやくざ、興行のことを調べていたときだった。 彼は朝鮮人であったことによる迫害を跳ね返すために、世界一強い男になろうとした。 強くならなければ、周囲から人として認めてもらえない。 その力道山の孤独は差別を体感した者にしかわからないであろう。 今、公開されている映画『力道山』を観て、改めて思う。 一見、不器用な彼の生き方の裏側で、孤独に打ちひしがれていたヒーローの素顔。 以前『シルミド』という韓国映画でソル・ギョングという俳優を知った。精悍なマスクに反した押さられた演技に感銘した。そのソル・ギョングが力道山役で、韓国では2004年の力道山の命日に公開されたそうだ。昨年韓国に旅したとき、彼の実力派俳優としての人気と知名度に驚いた。今、日本で韓流スターと騒がれている俳優は向こうでは無名に近い。 ソル・ギョングのデニーロ・アプローチも凄まじい。 『シルミド』のソル・ギョング。 『力道山』のソル・ギョング。 興行主の暴力団との関係など、包み隠さず、昭和初期の日本の空気、風情も湛然に描かれている。 韓国スタッフゆえの脚本の弱さは否めないが、願わくば日本人が作ってほしかった映画である。 人気blogランキングへ ←押してく? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.03.15 18:01:14
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