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Stephen1969

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2020.01.20
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カテゴリ:京の史跡探訪
今年は大河ドラマで明智光秀が主人公に取り上げられます。
ということで「本能寺の変」で明智軍が行軍したルートを歩いてみた。

6月1日、光秀は1万3,000人の手勢を率いて丹波亀山城を出陣。(『川角太閤記』によれば)「京の森成利(蘭丸)より飛脚があって、中国出陣の準備ができたか陣容や家中の馬などを信長様が検分したいとのお達しだ」と物頭たちに説明して、午後4時頃(申の刻)より準備ができ次第、逐次出発した。

(亀山城大手門跡)




亀山の東の柴野に到着して、斎藤利三に命じて1万3,000人を勢ぞろいさせたのは、午後6時頃(酉の刻)のことであった。 光秀はそこから1町半ほど離れた場所で軍議を開くと、明智秀満(弥平次)に重臣達を集めるように指示した。明智滝朗の『光秀行状記』によると、この場所は篠村八幡宮であったという伝承がある。秀満、明智光忠(次右衛門)、利三、藤田行政(伝五)、溝尾茂朝が集まったところで、ここで初めて謀反のことが告げられ、光秀と重臣達は「信長を討果し天下の主となるべき調儀」を練った。また(『当代記』によれば)この5名には起請文を書かせ、人質を取ったということである。

(篠村八幡宮)




亀山から西国への道は南の三草山を越えるのが当時は普通であったが、光秀は「老の山(老ノ坂)を上り、山崎を廻って摂津の地を進軍する」と兵に告げて軍を東に向かわせた。駒を早めて老ノ坂峠を越えると、

(老ノ坂)




沓掛で休息を許し、夜中に兵糧を使い、馬を休ませた。沓掛は京への道と西国への道の分岐点であったが(『川角太閤記』によれば)信長に注進する者が現れて密事が漏れないように、光秀は家臣天野源右衛門(安田国継)を呼び出し、先行して疑わしい者は斬れと命じた。夏で早朝から畑に瓜を作る農民がいたが、殺気立った武者が急ぎ来るのに驚いて逃げたので、天野はこれを追い回して20、30人斬り殺した。

(沓掛)




なお、大軍であるため別隊が京へ続くもう一つの山道、唐櫃越から四条街道を用いたという「明智越え」の伝承もある。

(唐櫃越へ誤って向かってしまう)




6月2日未明、桂川に到達すると、光秀は触をだして、馬の沓を切り捨てさせ、徒歩の足軽に新しく足半(あしなか)の草鞋に替えるように命じ、火縄を一尺五寸に切って火をつけ、五本ずつ火先を下にして掲げるように指示します。これは戦闘準備を意味するのですが、それが丁度この辺りです。



渡河地点からは愛宕山が見えます。



光秀が「敵は本能寺にあり」と宣言したという話が有名ですが、これは『明智軍記』にあるもので俗説です。

桂川を越えた辺りで夜が明け、先鋒の斎藤利三は、市中に入ると、町々の境にあった木戸を押し開け、潜り戸を過ぎるまでは幟や旗指物を付けないこと、本能寺の森・さいかちの木・竹藪を目印にして諸隊諸組で思い思いに分進して、目的地に急ぐように下知したそうです。

桂川から本能寺までのルートを類推するに、西国街道を進み「丹波口」から入洛したと考えるのが自然と考え、そのように歩いてみた。

ようやく丹波口に到達した。当時の都の入口といっても古地図でみると街はずれであることがわかる。





その比較的道幅の広い「大宮大路」と「堀川小路」を経て本能寺を包囲したと考えられます。

(西国街道より大宮大路を望む)




(西国街道より堀川小路を望む)




ここまでくればもう本能寺は目と鼻の先





全行程を2回に分けて歩きましたがそのルートはこんな感じです。








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Last updated  2020.01.20 00:15:19
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