今朝は
7時頃に「クッキー」の朝食を食べます。
午後
12時過ぎに「猫神」に叩き起こされて宅配された「野菜タップリお弁当」を一緒に食べました。
「引き違い戸」の隙間から我が部屋猫〈かふん〉は自由に出入りしています。
「猫神」が部屋に顔を出し、
慌てて逃げようとする〈かふん〉の尻尾を
掴んで遊んでいました。
手を離すと飛び出していきましたが。
午後
9時に冷凍食品「海老チャーハン」にレトルトカレーをブッカッケ夕食です。
シャワーを浴びて部屋に戻ります。
「神経性疲労」による1週間の診断書が今日で切れるので、多分
明日は出勤することになります。
明日からは散文的な生活が繰り返されるでしょうから、
今こそが「うつ」と「虚構」について考えてみる最後のチャンスだと思っています。
『自分を一定の方向に向かわせ、努力を重ねるのが人生ではないか』ということと、
その過程で何故『うつ』が生じるのか。
今日は眠りながらズッと考えていました。
主治医の言葉にもありましたが
、『自分を型に嵌めて一所懸命に努力する過程で、『現実』と『理想』との間に『剰離』が生じる。その『剰離』を埋めようと更に必死になると『うつ』が生じてしまう』ということです。
通常生きていれば、『理想』と『現実』とのギャップは常に感じますし、
それを埋めようと『努力』する処に『人としての成長』があるのではないか。
そこに『うつ』が生じるのであれば、
全ての者が『うつ病患者』になってしまう。
『努力』に自己満足し、一定の『成功』を甘受する人間以外は、全て『うつ』なのだろうか。
それでは
愚鈍なため『うつ』を自覚できないとしか考えられない。
定義に問題があるのか満足する答えを得ることができません。
もう少し、
『剰離』を限定して考えてみます。
私はかつて、
手ひどい失敗に塗れ1年ほど針の筵に座らされていた時期があります。
その
『剰離』のトラウマが、
必然として、次の『努力』を妨げてしまうのか。
『否』です。
次の目標を定め努力することに躊躇いはありませんし、
理想との『剰離』に以前のトラウマの陰はありません。
それでは、
人間関係か。
これは、
少し思い当たる節があります。
『現実』を
『理想』に
近づけようと一所懸命になっている時に
妨げになる『人間関係』。
でも、
『人間関係』なしに『理想』追求などできませんから、
『人間関係』が『うつ』を生じさせる必要条件(大きなファクター)だとしても
充分条件ではないような気がします。
現に今の職場に『理想』を阻害させる『人間関係』はありません。
それなのに
『うつ』が生じてしまう。
今までのように『「うつ」は「病気」なのだ』と言い切ってしまえば
『楽』なのですが、
『うつ』は『虚構』であるとする命題には
何ら答えていません。
悩みます。
今日、
「猫神」と少しお話をした時に
、「『うつ』だと自覚すれば『うつ』だし、自覚しなければ『一つの思想』なのかも知れない」と言っていました。
選択できるレベルの問題で、
『全く何も出来なくなってしまう症状』が
生じるとは考えられません。
『うつ』の大家「猫神」ですが、
今日の意見は却下させてもらいます。
『うつ病患者』として本能的に
『現実』と『理想』との『剰離』にこそ問題があるのを
痛烈に感じます。
でも、今まで書き連ねたように
『剰離』の何が原因なのかが掴めません。
何が『うつ』を生じさせるキッカケになるのか。
不図、今、感じたことがあります。
大概、
私が『うつ』症状に傾いていくときは、
『風邪』など身体の異常が先にあることに気が付きました。
今までは
『うつ』と認めたくないために
『風邪』や『糖尿病性の偏頭痛』などと
言い訳していたのだと考えていました。
ですが、
『うつ』は身体のホルモンバランスを崩してしまう側面があると
主治医から聞いたことがあります。
反対なのではないでしょうか。
身体のバランスが狂った時に、
『うつ』ではないかと邪推する。
そのまま、身体が回復すれば、『うつ』にならなかったと思い、糖尿病等で
『風邪』が長引くと『うつ』だと
『頭のどこか』が認めてしまう。
それが『うつ』のキッカケかも知れません。
そこに、
ヤヤコシイ『人間関係』が介入してくると
完全に『うつ』が復活してしまうようです。
何となくですが、
『うつ』という『虚構』の尻尾を
捕まえたような気がします。
『虚構』に尻尾があればいいのですけれど・・・。