テーマ:たわごと(26815)
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『ZARD「負けないで」英語教科書に!』って記事を見た。 ZARDの代表曲「負けないで」が高校英語の教科書の題材になる。 4月から全国約400校が採用。 曲の誕生にまつわるエピソードや、阪神淡路大震災、東日本大震災が起きた際に 国民を励ました応援歌として紹介される。 故坂井泉水さんの直筆歌詞も掲載し、「ことばの力」「音楽の力」を学ばせる狙いだ。 教科書は高2用の三省堂「MY WAY English Communication2」。 第7章に「An Encouraging Song(勇気づける歌)」として 「負けないで」にまつわる英文が掲載される、とか。 あたしは 文部省唱歌で無けりゃ教科書に載せちゃいけない!とは、思わない。 ビートルズを載せて 反戦やら、ヤク中の享楽やらを、教え込むのも。 セックス・ピストルズを載せて 『God Save the Queen』と、自国王室を溺愛する大切さ?やら 殺人しても南米に逃げ込めば捕まらない?って特異な知識を、教え込みのも。 あたしには、どうだっていい。 それどころか。 悪事っても 仲間とツルんで乱闘とか、カツアゲとかが精々の 平々凡々と、能天気な平和を享受するガキに。 世界って狂気を、見せ付けられるのなら それは、それで、それなりに意味があるかも知れない、し。 でも、さ。 どうして、『負けないで』なの? 『負けないで』って ♪負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて どんなに 離れていても 心は、そばにいるわ♪ なんて 負けないで!の繰り返しでしょう? はっきし言って。 あたしの高校時代なら やかましい、ほっといてくれ!って、ウンザリ顔か どうぞ、ご勝手に!って、完全無視か その2択以外、有り得ないと思うのだが。 高校時代なんて。 恋に遊びに、人生で一番輝いている時期か 受験一筋と、暗澹(あんたん)たる灰色時代を謳歌しているか。 どちらにしろ 放って置いても、みんな、みんな、一所懸命に、頑張っているワケで。 そんな時に さらに、頑張れ!とか、負けないで!とか、ガンガン応援されちゃうと いい加減、勘弁して欲しいとか思っちゃう。 そんなこと わざわざ、言われなくたって、充分に頑張ってるよ!って、ウンザリしちゃう。 東日本大震災のとき 頑張れ!って言葉、被災住民さんからの苦情で、禁句になった記憶があるんだが。 被災地では 日々、生活するコト自体が、既に、ムチャクチャ頑張っている。 その上、更に、頑張れ!なんて ダレが、どの面(つら)下げて言う?とか、被災住民さんの感情を掻き乱しちゃった。 文科省のエライさんは もう、半分以上、棺桶に脚を突っ込んでいるだろうから 自分の高校時代なんて、遥かに遠くって、ボケて、忘れちゃったかも知れんけど。 たかだか 数年前のコトすら、覚えていない、わけ? 銀メダリストが みなさんの応援で、元気を貰いました!って発言してから 元気とか、勇気とか 本来、自分自身で掴(つか)んで、育(はぐく)んでいくモノを ダレかが、安易に、恵んでくれる!って思うようになっちゃった? あたしは 自分への応援歌が、必要でないとは言わない。 ただ それは、他人(ひと)から押し付けられて はいそうですか、って、考えなしに受け取るモンじゃないと思う。 そして それで救われる境遇・試練なら、所詮、それだけのもの。 そんなモノが その後の人生の礎(いしずえ)になるとは、とてもじゃないが、思えない。 直喩と暗喩って、あるじゃない? なんか今って 思春期のガキなら困っているに違いない。 だから 高らかに、大きな声で、寄って集って応援しましょう!って 直喩ですらなく、もう、猪突猛進に直言しちゃう? それに 当事者のガキはガキで、みなさんの応援で、元気を貰いました!って 何の恥じらいも、衒(てら)いもなく、喜び勇んで答えちゃう。 それって 中国政府に対する、中国国民と言うか 北朝鮮政府に対する、北朝鮮人民と言うか 市民団体さんの集会における、構成員の発言と言うか。 あまりに優等生過ぎて、すっごく、気色が悪い。 日本って、さ。 もともと、暗喩の文化で。 他人(ひと)の恥には、それとなく伝えて 間違っても、直言したりしない。 なら 他人(ひと)を応援するのも、「それとなく」で充分じゃない? なので 教科書に載せるなら。 ZONEの『secret base 〜君がくれたもの〜』をお勧めします。 一緒に遊んだ、仲が良かった子との、突然な別れ。 そのとき 10年後に、また、会いましょうと約束する、幼い頃の大切な思い出。 それを 10年後って歳のヒトが聴いたって、もう手遅れなワケで。 小学校高学年とか、多感で そういう出会い・別れを経験する前とか 経験する、正にその時期に聞いてこそ、意義がある。 何も 幼い頃の思い出を大切にしましょう!って直接的な教訓でなく。 その別れの哀しさ、再びの出会いを待つ憧れ。 それを聴かせて 感傷だけを心に残すなら、まさに暗喩で、押し付け感がない。 そういう歌を 自我が形成される途上の小学生に教えて、情緒を育んだ方が 既に出来上がっちゃった後の高校生を、応援するより、よほどにマシだと思うのです。 べつに あたしが、高校野球や『コナン』より 『あの花』が大好きだから、ってワケではありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年02月06日 18時01分07秒
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