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テーマ:今日のこと★☆(104550)
カテゴリ:その日の出来事
今晩は。独酌です。
昨日は久し振りに家族3人が夕食時に顔を揃えましたので外食する事にしました。 珍しくヨメが「何でもいい」と言うので鮨屋へ。 カウンターに座れたので独酌とヨメは適当にツマミをもらいながらチビチビと呑んでおりました。まあ、ヨメは途中から「生グレープフルーツハイ」に替えたのでチビチビではなくグビグビに変わりましたが。 ムスコはネタケースを眺めながら握ってもらってますが、ウニ以外のネタを全部を喰う気らしい。だったら最初からお好みじゃなくて一人前単位で注文すりゃいいものを。時間の無駄である。 おかげで独酌の食べたいツマミが中々出てこないじゃないか。 どうせ、白身 → 光物 → マグロのように順序良く食べてる訳でもなさそうだし。 ネタケースを折り返して2周目に入るかと思ったら、土佐礼子さんのマラソンのように途中で止まりました。 「何か今日は食欲でないなぁ・・・もう食えないや」 「何か・・・」ではない。鮨屋へ来る前にチリドッグ、ツナサンド、ハムチーズサンドとパンを3つも食べてたからなぁ・・・今度からこの手でいこう。かなり安くつく。 ヨメは帳簿を見なければならないからと職場に戻りました。 独酌とムスコは家に帰ります。独酌はテキーラとレモン、ムスコはハーゲンダッツのパイントカップとスプーンを抱えてテレビの前へ。 「お前なぁ、直接スプーンを突っ込まないで喰う分だけ皿に入れろよ」 「判ってるよ」 そう言ったにも関わらず、スプーンを突っ込んでアイスを食べ始めた。 「テメェ~ 言ってることが判んないらしいなぁ・・・」 握り拳を見せると、 「何だよ、食べたいなら言えばいいじゃんかよ」 「そうじゃねぇーよ、アイスだけじゃなく瓶とか缶の食べ物も直接、箸をつけたりするなっていつも言ってんだろ!」 「また冷蔵庫に仕舞う奴はだろ」 「・・・オマエ、それ全部喰うの?」 「食べるよ。くれって言うならちょっと皿に入れるけど」 さっき呑込んだ鮨は何処に消えてしまったんだろう? 居間のソファーに座りオリンピックを眺めていましたが、午後10時になったのでTBS系の【世界ウルルン滞在記2008】へチャンネルを換えました。 「何だよぉ! オリンピック観ようよぉー!」 「これ見るんだよ」 「じゃあ、あっちで見るからいいよ」 「喧しい! お前こそ座ってちゃんと見ろっ!」 『ドイツ国際平和村 戦場から来た子供たち』 8月17日放送 最初はブツクサ文句を言ったり、携帯電話を弄っていたムスコも途中から食い入るように真剣に見入っていました。 【ドイツ国際平和村 】 冷戦終結後、1990年から2000年に起こった戦争で亡くなった子供は200万人以上、体に障害を負った子供は600万人、戦争体験により心に傷を負った子供は1000万人を超えると言われています。そして、今現在も助けを求めている子供たちが世界各国にいます。 紛争地域や危機に瀕した地域の子供たちを支援するために設立されたのが、ドイツ北部、オーバーハウゼン市にあるドイツ国際平和村です。1967年、ドイツ市民の手によって作られたドイツ国際平和村は、紛争などで傷つき、母国で治療することが困難な子供たちや病気になった子供たちをドイツに運び、治療し、母国に帰すという活動を行っています。手術後子供たちは、リハビリをしながら、年齢や国籍の違う子供たちと一緒に平和村の施設で過ごします。 平和村の運営は、そのほとんどが寄付金で賄われています。「ウルルン」で、東ちづるさんが最初に平和村を訪れたのは1999年6月。以来、番組を超えて平和村の子供たちと関わり続けてきました。平和村の寄付金受付の口座を開設してから、寄付金は9年間で総額9億円を超えました。 平和村では、子供をドイツに連れてきて治療する活動だけではなく、紛争地帯などに医療施設を建設するという援助活動も行っています。カンボジアにはその活動の一環として10ヵ所の診療所を作り、予防接種や安全な出産指導などを行っています。今回、カンボジアでは治療することが難しい子供たちが、ドイツにやって来ます。内戦が終結しても、紛争地やその周辺には、爆発物、武器、地雷、不発弾などが残され、子供たちの多くが被害に遭っているのです。 http://www.friedensdorf.de/welcome3.html 番組の中には直視するのが辛い程の子供たちが沢山、映しだされています。 腹部を兵士にナイフで刺され、腸が飛び出したままの状態の2歳の女の子。 人形に仕掛けられた地雷により両手の肘から先を失った9歳の男の子。etc、etc、etc・・・ 「どうしてこんな酷い事すんのさ?」 ムスコに訊ねられても答えられません。 ある意味、これが一番哀しかったです。 「性悪説」を引き摺りだして済まされる問題ではありません。 戦争や紛争といった極限状態におかれた時、人はどのような行動をとるのでしょう? こんな状況でオマエは聖人君子のような振る舞いが出来るのか? と問われれば返事が出来ない独酌です。 この番組が平和村の寄付金受付の口座を開設してから、9年間で総額9億円以上の善意が寄せられました。 それでも資金はまるで足りないのだと言います。 それよりも何よりも、9年が経過した今も「平和村」が在る事、そして収容している子供たちの数が増えている事・・・人間の愚行は変らないのでしょうか? 「雨あられのように・・・」 もはや比喩ではない。実際に建物、人の区別なく銃弾は降注ぎ続けたのである。 戦闘の後にはぐれた家族を探す人々。 「僕が何をしたんだい?」 この子の目を見ながら返事が出来ますか? 同情したり哀れんだりするだけなら、誰にでも出来ます。 傷ついた子供たちの身体だけではなく、心もケアしていかなければなりません。 独酌はこの子たちに「これが現実なのだから、貴方たちはこれを受け入れて生きていかなければなりません」と説くことが出来ません。だからスタッフやボランティアとして活動することなく、こうして家でただテレビを見る事しか出来ないのです。 「オマエさぁ、勉強が嫌いなら無理して高校や大学に行かなくてもいいぞ。こういう子たちの為に働くってのもあるからな」 「オヤジにしては悪くはない考えだねぇ・・・」 「でもな、アホウが手伝いにきてもナンの役にも立たんからな」 「わかってんよ・・・」 能天気なアホはアホなりに感じる事があったようです。 親子2人で少し考えさせられた夜でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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