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テーマ:詩&物語の或る風景(1047)
○加藤周一(氏)の朝日紙連載「夕陽妄語」。 ・今回は[文芸批評のために]と題されている。永年の(氏自身の、本質的な現在的な)テーマだ。バルバラ・吉田=クラフト(Barbara Yoshida- Krafft)による川端康成の「ドイツ語訳本」の紹介からはじまる。 ○essayと随筆の差異(違い)に触れる。訳語というレベルの「話」ではない。日本人の日本の意識構造に関することなのだ。 ○あっと。思う。『枕草子』だ。清少納言。 「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。ヒトの齢。春、夏、秋、冬。」 「この場合。正確に描出された現実の生の真実は、極度に簡略化され、形象に富み、しかも形象としての力を備えた、音の響きと色彩とに溢れ、ダイナミックな リズムに満たされた言語に結晶している。ここに顕れた作者の言葉は、今日なお、いや、永遠に不滅である。(バルバラ・吉田=クラフト『日本文学の光りと 影』吉田秀和編・藤原書店2006年) ○あっと、思う。川端康成の「意訳本」(に近い意味)のことだ。書物読書研究というものの結実する様なのだ。「夕陽妄語」である。 ○ 文章は続いている。(嗤)ついに、荷風が来た。となる。『下谷そう話』『墨東奇譚』『断腸亭日乗』。鴎外・漱石の「散文」。ここらあたりをはしょって引用 すること自体失礼なことだ。しかしここ「荷風翻訳」にも、バルバラ・吉田=クラフトが登場してくる。(ふ~ん。という感嘆。)
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Last updated
Dec 26, 2006 11:30:42 PM
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