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テーマ:詩&物語の或る風景(1047)
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○昨夜、YoyTubeで「chiaki naomi」を、引きだし懐かしく聴いていた。懐かしく。もう2年も前に聴いていた。[・・・]○途中確認。時浪屋・・・5月店主銀座個展時。~最後の 秋。○あの一隅の撤去。しばらくはそのまま現在に至る。開発企業。○あれからどこにいったやら。○chiakiからFadoへ。アマリア・ロドリゲス (故)。医師のカティア・ゲレイロ。[・・・]○なにが途中にあったのか。○いま、Sophie-Milmanを聴いている。 ○Jackson-pollock.「ふたりだけのアトリエ」~ ○いま「イジー・コラーシュの詩学」「切断の時代」 ○ いま「ランスの大聖堂」G.バタイユ21歳の時の仕事。わずか6P.1918年。第1次世界大戦末期。独逸軍の爆撃で聖堂も廃墟と化していた。○バタイユ はこの若き日のtextに触れることはなかった。○訳者。前の訳に澁澤龍彦あり。今回のちくま文庫版は、酒井健。「ゴシックとはなにか」でサントリー学芸 賞。○「切断の時代」の著者も今年同じ賞を獲得。○「コラージュ」になる。○というのもシュルレアリズム~NY派への「転換・移行期」のことだ。○アル トーが。ベンヤミンが。バタイユが。ということ。「社会学研究会」。○フロイトからユングへ。 ○時代性。80年~100年後の「追究」。 ○憧憬とかを離れて(西欧・EU)対象化以前の状態に入る。世代論。
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Last updated
Dec 8, 2007 11:40:04 AM
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