私の中の「岩手県」のイメージ。ドーンとした山、こせこせしていない。
岩手県、大好きになってしまった!
今朝チェックアウトした鶯宿温泉の名は、その昔ウグイスが湯で傷を癒したということからきているらしく、切り傷ややけどに効能が高いとのこと。
さて、せっかく盛岡に来ているので、生憎のお天気だけど、温泉ばかり入っていないで盛岡市内も散策してみよう。
これには「でんでんむし号」が便利だ。
盛岡都心循環バスのことで、右回り、左回りとあり、所要時間は両方向とも35分。一回乗車はどこから乗ってもどこで降りても同じ料金で100円。乗り降り自由の一日フリー乗車券は300円だ。
10分から15分間隔で出ているので、スポットスポットで下車して見学し、また降りたバス停に戻ればそう待たずして次のバスが来るので、苦労なく盛岡の見所や啄木・賢治の残像を見て回れる。
もしお天気だったら、盛岡城址や紺屋町なんかももっとブラブラできたら楽しいだろうけど、今回は「必見!」とガイドブックに記載のある場所に絞り見てみることにした。
さっそくフリー乗車券で駅前から乗車し、最初は「材木町南口」で降りてみる。
ここらへんのことは、イーハトーブアヴェニューというらしいなぁ。
賢治も遊びに来ていたらしく、光原社もあり、通りには賢治のモニュメントがいっぱい!
光原社というのは、賢治の後輩の会社で、賢治が生前唯一発行した童話集『注文の多い料理店』の出版社だ。
現在は素敵な石畳の庭園に雑貨店とカフェ(可否館-こーひーかん)が佇む。ちょっとした賢治の資料を展示してある部屋もあった。
傘をたたみ、ドアを開け、木の長椅子に腰掛けて、置いてあったプリントなどを読んでみる。
光原社メンバー3人は28歳の若さだったそうだ。
後輩2人の賢治に対する絶対的な信頼感、イーハトーブに象徴される夢とだけで、原稿にもろくに目を通さないまま、社名も畳に寝そべって賢治が考えた五つほどの候補の中から決めたそうだ。
大正時代だからこそできたロマンだなぁ...!
『注文の多い料理店』という本は当時は料理本と間違えられて、書店でも料理のコーナーに並んでみたりで、作者は無名、出版社に確たる販路もなく、書価も高いと売れない、と三拍子が見事に揃って、「注文の少ない料理店」という結末を迎えたとやら...ヤレヤレ...。
でも今はこうしてモニュメントなんかもあって、良かったネェ賢治さん、なんて思う。
先ほどの停留所に戻ると全く待たずに次のバスが来る。次の停留所の「啄木新婚の家口」でブザーを押して降りる。
ちょっと小路を入った所にそれはあった。
ここは、石川啄木が処女詩集「あこがれ」を出版した明治38(1905)年に、新妻の節子と3週間を過ごした家。3枚目の写真が啄木と節子の部屋で、四畳半。
西向きの古い格子窓に、一日中庭の青葉の影が映っていたらしい。
朝日がささないことを幸いに、啄木は朝10時に起き、朝食と昼食を合わせて取ることもあったそうだ。
寝床の中で新聞を。
5、6行読んでは天井を眺め、また読んでは眺め、夢うつつのひとときを楽しむこともあったらしい。
あぁ、それにしてもなんだかお腹が減って小雨もそぼ降る中、早くも「腹が減っては戦はできぬ」境地になってきた。
盛岡の三大麺といったら、盛岡冷麺、わんこそば、じゃじゃ麺だけど、今回はこのじゃじゃ麺が大きなお楽しみの一つだった。
お目当てのじゃじゃ麺の「白龍」はどこなのか、本気を入れて地図を探し出した。
ナヌ~?なんだか、じゃじゃ麺といってもいっぱいあるでないの。
私の探しているのは「白龍」だけど、それさえもカワトクとかいうデパートの中にもあるみたいだし...
今回は岩手公園の北側にある白龍(ぱいろん)本店におじゃまする。
事前の調べで多少の行列も覚悟して行ったが、お昼時から少し遅かったせいか、並んではいない。ラッキー!
ガラガラと扉を開けて中に入ると、一人女性やサラリーマンでごったがえしていた。
次回はいよいよ、じゃじゃ麺を食べてみます。
冷麺のセット
モチモチの米っこロール
大人気!トロイカのチーズケーキ