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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:名所江戸百景
石浜城の隅田川対岸、白鬚橋の少し上流の隅田川沿いに東白鬚公園があり、東白鬚公園の一角に木母(もくぼ)寺があります。
歌川広重「名所江戸百景 木母寺内川御前栽畑」 江戸時代は隅田川から内川が分流し、その川沿いにあったようです。 隅田川対岸から見た木母寺 木母寺の歴史は古く、謡曲「隅田川」に登場する梅若丸を供養するため、976年に梅若塚と念仏堂が建てられたのが始まりとされています。 その念仏堂は鉄筋コンクリートとガラスで保護された建物の中にありました。 念仏堂 (念仏堂の隣に梅若塚があります) 念仏堂の内部 元々は梅若寺と呼ばれており、太田道灌が梅若塚を改修し、梅若寺を建立したと言われています。 江戸時代に入ってから、「梅」の字をばらして「木母」となり、将軍などが訪れる隅田川御殿が建っていました。 境内には様々な石碑が並んでおり、それぞれに由緒がありました。 「天下之糸平」の碑 貿易商の田中平八が建てたもので、親交のあった伊藤博文の書によるものです。 三遊塚 三遊亭円朝が、初代の三遊亭円生を追悼するため、明治22年に建てたもので、題字は山岡鉄舟の書です。 大正時代になって東京府(当時)によって旧跡に指定された梅若塚ですが、太平洋戦争の空襲で本堂は焼失し、さらには団地建設のために現在地へ移転しました。 敷地はアスファルトとなり、本堂は鉄筋コンクリートに変わっていますが、今も残る数々の石碑だけは昔と変わっていないようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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