(令和6年1月24日)中日春秋丸写しで一句 和醸良酒杜氏集団寒造♪
中日春秋 (書写) 和醸良酒杜氏集団寒造 〈かぐはしき湯気くぐりては寒造 三森鉄治〉。冬場に酒を造る 寒造りは今ごろが忙しいという▼寒造りのため、農作業が終わる晩 秋から春にかけ、農家らが各地の蔵元に出稼ぎに行く杜氏集団が江 戸期に生まれるが、その一つが能登杜氏。奥能登は寒さが厳しく、 冬の産業が乏しいため誕生した▼『杜氏という仕事』(藤田千恵子 著)によると、能登杜氏の出稼ぎ先は地元北陸のほか近畿、東海、 朝鮮、満州などにも拡大した。現場では長である杜氏が同郷の蔵人 たちを指揮した▼能登半島地震発生時、酒造りの出稼ぎ先にいた能 登出身者も多かったよう。神戸・灘の剣菱酒造には約20人おり、急 きょ帰省した蔵人らに会社は食料やガソリンなどを持たせ、被災地 から連れてくる家族の住まいも用意したと神戸新聞が伝えていた▼ 奥能登の酒蔵の多くは建物が壊れ、今季の酒造りが難しい。一部の 酒蔵の製造途中のもろみを能登以外の酒蔵が引き取り、酒造りを代 行するとも聞く。石川県酒造組合連合会は義援金を募り始めた。飲 み手を含めた支援の広がりが再建に不可欠らしい▼滋賀の喜多酒造 で腕を振るった能登杜氏の故・天保正一さんは杜氏、蔵人の助け合 いの大切さを説き「和醸良酒、という言葉がありますでしょ。和が 良い酒を醸すんやわ」と語ったという。酒を愛し能登を案ずる人々 が和すれば、いい酒はまたできる。