あるサイトでこんなものを拝見しました。
数息観(すそくかん)密教座禅
数息観(すそくかん)「密教座禅」は全身の細胞から不浄の気を
絞り出し、呼吸だけに専念し、雑念を払い、心を落ち着かせ、
御本尊不動明王の加持力を頂く真言密教の瞑想法です。
う~ん写真を見る限り「あ字観」という「密教座禅」のように
見えるんですが・・・
「数息観」というのは、1,2,3,4・・・と数を数えることによって
雑念を払おうという観想です。
一方「あ字観」というのは、月輪(がちりん)というマルの中に
梵字の「あ」を書いたものを想い浮かべようとする観想です。
そんなことを考えていたら、ある、禅宗の檀家さんから
以前こんな相談を受けた事を思い出しました。
「私は座禅をしていても雑念が消えないんですが、
どうしたらいいでしょう」
「それは困りましたね。雑念はなかなか消えないんですよ!」
「どうしたらいいですか?」
「消えなくてもいいではないですか!」
「・・・」
そもそも雑念など簡単に消えません。
座禅をすると雑念が消えると思われていますが、
そう簡単ではありません。
曹洞宗ー只管打座(ただ、座禅するだけ)
臨済宗ー座禅中に「公案」という答えのない問題を考える。
曹洞宗がただ、「座禅するだけ」というのは余計なことを
考えても気にしない、臨済宗が「答えのない問題を考える」のは
少しでも余計なことを考えないためではないですか?
「数息観」というのは、1,2,3,4・・・と数を数えることによって
雑念を払おうという観想です。
大体、ただ、座っているだけで何も考えないというのは無理!
「あ字観」という密教禅も似たようなコンセプトですね!
しかし、面白いことに、座禅を行なっているとだんだん雑念が
なくなってくる「ことも」あることは事実!
深く入っていきますね。
いわゆる禅問答というのは、答えのない問題に対して出します。
屁理屈のように思われていますが、それは違います。
答えは本当にあります。
ある公案の回答がネットにありました。
問い:ある僧が馬祖に尋ねた。「仏とは何ですか?」馬祖が言った。
「それは心でもない。仏でもない。」
答:「踏み切りで蛙が列車に轢かれています。」
なんともいえない面白い答え!
これで合格とは思えませんが、師家さんが認めたので、
問題ないのでしょう。
ちなみに、同じ問いに対してこの答えを出したら・・・
合格する場合もあり、不合格の場合もある。
ただし、合否判定は曖昧ではない!
面白いぞ!臨済宗!
ところで、もとは「密教禅」の話でしたね!
「密教禅」自体は実は臨済宗より面白いのです。
なぜなら、もっと動きがあるからです。
座っているだけではなく、時には火を焚いたり
しますからね!
もっと面白いぞ!真言宗!
さて、密教禅を探す過程でこんなの見つけました。
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