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「弘法大師は何宗の僧侶?」
こういう質問をされたらどう答えましょう?(*^_^*)
「そんなもの真言宗に決まっている」
と答える方が多いのでしょうか・・・
皆さんこれをご覧ください。
伝教大師(天台宗)ー法相宗?
法然上人(浄土宗)ー天台宗
親鸞上人(浄土真宗)ー天台宗
栄西禅師(臨済宗)ー天台宗
道元禅師(曹洞宗)ー天台宗
日蓮上人(日蓮宗)ー天台宗
有名各宗の祖師の所属していた宗派です。
伝教大師は近江国分寺で得度を受けたと書いてありますが、
所属宗はわかりません。
師僧は行表という方で、この方が興福寺で受戒されていますので
法相宗?ということにしましたが、正確には不明です。
度牒が残っているようなので、ご存知の方がおいでなら
教えてください。
おお~有名宗派は全部天台宗出身とは(@_@;)
って知ってますが、改めて書いてみると
ビックリしますね(*^_^*)
真言は無いのか?
覚鑁上人(新義真言宗)-真言宗
興正菩薩(真言律宗)ー真言宗
これは厳しい(;一_一)
それはさておき、冒頭の「弘法大師は何宗の僧侶?」の
回答ですが、よくわかりません(*^_^*)
推測されるのは、所属 大安寺「三論宗」でしょうか?
弘法大師の師として「言われていた」勤操大徳は三論宗ですし
長安で弘法大師と入れ替わりに帰国した永忠師も三論宗。
弘法大師の後継者と言われていた弘法大師の甥の智泉大徳も
大安寺ということから考えると弘法大師も「三論宗」の
僧なんですかね?
弘仁7年(816年)に高野山を開創
弘仁14年(823年)に教王護国寺を真言宗の根本道場
という出来事はあるのですが、真言宗自体が正式に
認められたのは、弘法大師が入定される2か月前(@_@;)
承和2年(835年)1月22日に真言宗の年分度者3人を認める。
当時は正式に国家が認める以外には僧侶ではありません。
年分度者とは、その年に三人を得度をさせて僧侶に
してもよいということです。
ちなみに天台宗は
806年(大同元年)1月、天台業2人を年分度者と認める。
なんと、伝教大師は帰国の翌年に天台宗の年分度者を
認められているではないですか(@_@;)
この差は何なんだ(@_@;)
ただ、弘法大師は天長元年(824年)3月には少僧都に任命され、
天長4年には大僧都になられて、僧尼を管理する立場に
つかれていますが、伝教大師はそういう立場にはついていません。
そういう意味でいえば、ギリギリまで年分度者が必要無かった
ということかもしれません。
これまで漠然と「弘法大師は真言密教を唐から持って来られて
すぐに真言宗を開宗された」と思っていましたが、
そうではない事実に驚きました。
しかし、そうすると再び謎が生まれてきます。
「弘法大師は三論修学の留学生として唐に渡った」
ということにならないのでしょうか?
『空海入唐 虚しく往きて実ちて帰らんー飯島太千雄』
に書いてあったのですが、驚きましたね(@_@;)
今から考えると、「当然」の帰国でそれも「かなりの強運」と
思われているのですが、弘法大師が
「20年間の三論修学を放棄して2年で帰国」
されたのは、よほどの覚悟があってのことなんですね。
帰国されて、しばらくは
「20年間の三論修学を放棄して2年で帰国」
が問題となって、しばらく大宰府に留め置かれたんですが
その間に、大変な事件が起きます。
弘法大師とも縁が深いと思われる伊予親王が
帰国翌年に謀反の罪に問われ自害!
大同4年にその罪が許されるまでは、かなり危うい状況だった
ように思われます。
私が言うのはなんですが、従来の弘法大師伝では
「密教を持って帰って来たので、認められるのは当然」
という前提で描かれていますが、実際はそうでもなかったのかも
しれません。(*^_^*)
いかがでしょう?