3.11からもう二年も立つのか?
そんな感じを持っています。
テレビでは朝から関連した特集が組まれています。
その延々と流される映像にはちょっと嫌悪感を持ってしまう。
確かに被災地は大変だろうと思う。
余裕があったら援助して上げたいと思う。
しかし、「援助すべきだ」みたいな押し付けには反発してしまう。
それならば、何故、昨年末の選挙で「増税政党」を選んだのか?
さらに、震災を深刻にした「原発推進政党」を選んだのか?
増税したら被災者も援助する側も苦しいのではないか?
投票者は「原発稼働」を選んだという主張をする人間がいるが
事実そうなのだろう。
しかし、それが正しいのでしょうか?
一方で、こちらも精神的にも肉体的にも余裕が無い状態です。
今月末には4年に一回の大法要が行われるので、その準備に
追われている。(ようには見えないですけど)
例の?裁判も大詰めで今月には証人尋問があって出廷。
一方で、飛び境内地では新たな問題が起きているので、
そちらも放置しているような状態(;一_一)
4月からは新たな巡拝ツアーの企画も計画しているし
本堂の修復も考えざるを得ない状態(;一_一)
実は今日はお昼から真言宗各派も3.11 三回忌法要を
計画しているのですが、私はそういう事情により欠席します。
先日、あるネットで知り合いの方から、高野山真言宗が
被災地から撤退しようとしているという話を聞きました。
「被災地を見捨てるのか?」
「震災を風化させていいのか?」
しかも、被災地支援をしている関係者が誹謗中傷されている
という支援者からの告発でした。
私は高野山真言宗の側から意見を述べました。
「高野山真言宗も余裕はあまりないこと」
「売名行為的な支援者がいるという事実であること」
※高野山真言宗の事件が発覚する前の話です。
それに対して逆に反発されてしまいました。
「直接関与しなかった、大抵の人たちには、そろそろ自己犠牲の
支援は、打ち切ろうと思うのでしょう」
これには反論しませんでした。
今だから書けるのですが、3.11当時でもかなりそれに対する
温度差がありました。
四国には津波が来たとはいえ、実質的な被害は一部の沿岸部を
のぞいて全くない状態。
大部分の人はいつもと同じように行動して、いつもと同じように
生活していました。
四国は南海地震が確実にやってきて被害も想定されている地域。
私などは、今回の被災も他人ごとではないと思いました。
しかし、一方で
「義損金など出す必要があるのか?」
という意見も少なからずあったのも事実。
また、震災当初から東北復興支援の托鉢を行い
読経を行って慰霊と祈願するとともに募金を行いました。
震災当初は募金を募ってもすぐに集まりました。
考えられない位多額の募金が集まっていました。
しかし、毎月となると募金金額もどんどん減り
一方で、参加者も減りました。
多い時には30人近い僧侶が読経していましたが、
あるときなど、私が少し遅れていくと、某氏一人が
街頭で立っているだけという状態までありました。
それが一年前の状態です。
さらに、一年も経ったら・・・
現在でも一つだけできることがある。
それは祈ることです。
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