先日あるサイトでこんな話を見ました。
~~~~以下引用~~~~~
よくお遍路さんの口から、「お大師さんに呼ばれたんです。」
という言葉を聞きます。
わたしも、友人たちから「どうして四国遍路に行くのか?」
という質問に、必ずこう答えます。
説明が面倒なのもあるのですが、実際にそう思っているからです。
遍路や巡礼に出る理由は、自分の欲求や
自分からの意思(希望や望み)でないと思うからです。
~~~~~以上引用~~~~~
すごく違和感を感じました。
お遍路さんってお大師さんに呼ばれた人なんだろうか?
四国遍路って縁が無いとできないとは
良く言われる話です。
でも、この人に遍路をさせたいって思って
お大師さんがわざわざ招くんだろうか???
近所の寺院の住職さんは四国以外の出身で、高野山大学を出て
何年も他寺院で経験を積んでからそこのお寺に入られました。
温厚で、勉強熱心で行も積んでいるこの人などが
「私はお大師さんに呼ばれたんです」
と言われたら、誰もが納得するような気がする。
でも、同じ四国以外の出身でも私が
「私はお大師さんに呼ばれたんです」
というと、「呼んでない」といわれるような気がする(;一_一)
先日も御影供(弘法大師忌)で老僧から
「三人文殊はもう少し丸くならないと・・・」
と注意されたばかりです(;一_一)
実際、お大師さんが呼ぶならもっと温厚で有能な人間を
入れるでしょう(;一_一)
ところで
>よくお遍路さんの口から、「お大師さんに呼ばれたんです。」
という言葉を聞きます。
これは本当なんだろうか?
お大師さんはお遍路さんは呼ばんでしょう。(*^_^*)
四国へ来たら助けてくれるでしょうが、
わざわざ呼んでどうする???
それ以前にお大師さんは影向(姿を現す)されてますから
四国へ来なくても救いを求める人は助けてくれます。
それに、お大師さんに呼ばれたのなら、お大師さんの後を
追わないのでしょうか?
つまり仏門に入って真言密教の道へ進むはずでは?
でも、そういう人は少数派なんですよね。
お遍路さんの数に比べて、そこから真言僧へ進む人は
ほとんど皆無と言って良いくらいの超少数派。
実際、私などは「お大師さんに救いを求めている人」
以外の人がお遍路さんをするのはどうなんだろう?
そう思いますね。
四国へお遍路さんに来る人は
「お大師さんに呼ばれたんです。」
などというおこがましい言い方はやめてほしい。
もっと謙虚にお参りしてほしいと思います。
いかがでしょうか?
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