「四国霊場1番札所、霊山寺へのお礼の気持ちは一切ありません」
と衝撃的なタイトルをつけました。
実はあるSNSの四国遍路コミュニティで四国遍路を
結願されようとしている方が、「一番札所へのお礼参りに関して」
こう書かれていたのです。
さすがに驚きましたね(@_@;)
四国を歩いてお参りしていると、よく札所に対する文句・批判を
聞きます。
そのほとんどはお寺自体ではなく、坊主と職員
それに寺院設備(トイレなど)に対するものです。
一方で、その批判を直接お寺に向ける人は当たり前のことながら
少ないようです。
私は歩いてお参りしていた時、14番札所の常楽寺の住職に
四国遍路の札所に対する文句を言ったことがあります。
その時の答えは
「札所の対応が悪いという見方もあるが、
そういう対応をされる側にも問題がある」
この意見には全く同意できませんでした。
不満を持ちながらお寺を離れました。
どう考えても納得できない。
こんなことも言われていました。
「札所の対応をチェックしてノートに書いていた人がいた。
それではお参りの価値が全くなくなる」
その真意が判ったのは遥かに後になってからです。
四国遍路とは何か?
お大師さんに感謝しながら、四国の人に助けられながら
四国霊場をお参りすることではないか。
その霊場を維持しているのは誰なのだ?
そこにいる坊主と職員ではないか?
私も四国の札所の対応は良くはないと思う。
一方で悪くも無いと思う。
人の対応などはその時、状況によって変わる。
一日中忙しくて、もうそろそろ帰りたい
帰り支度をし始めた納経終了時刻に、無愛想に、
「札所は納経するのが当たり前」とばかりに来られたら
不機嫌な対応にもなろう。
一方で、ヒマな時にやってきた、明るい顔のお遍路さんには
愛想よく対応するのではないか?
率直にいえば、札所の坊主や職員などは関係ありません。
札所では本尊様・お大師様に感謝してお参りし、
お賽銭をお布施としていれる。
四国遍路はこれ以上でもこれ以下でもありません。
坊主も職員もお寺の設備も入りこむ余地は無いのです。
そういう余計なことを考えて遍路するぐらいなら
四国遍路などしない方が良いように思いますね(*^_^*)
いかがでしょう?
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