お久しぶりです。
皆さんお元気ですか?
ちょっと書かせていただきます。
たまたま、自分の出身高校の30周年のアルバムを発見して
それをペラペラめくっていると驚くべき事実に出会いました。
私の出身校は私が卒業した年に30人ぐらいしか大学進学者がいないと
思い込んでいたのですが、なんと69人もいました。
一方、就職者数は77人。
定員が180人ですから、当時としてはまあまあの進学校?
しかし、前年を見ると大学進学95人に対し、就職は68人
さらに遡ると、創立からずっと大学進学者が就職者を上回っています
ん?私の卒業年だけ就職が多かったのか???
逆に下ると戦慄の事実が(@_@;)
私の高校は新設校でした。
高校進学者の増加に伴い、新設高校が次々に作られた時代で
郡内に一つある高校では郡内の進学者に対応できなくなったのが
新設の理由ですが、一方では実験的に作られたのでは
ないかと考えています。
最初は隣の高校の定時制分校を間借りする形でスタートしています。
付近はまだ開発の余地があると思われるのに、
わざわざ山の中腹に作られました。
私の高校の開校の少し前に筑波大ができています。
筑波大はこれまで都市部になった総合大学を筑波という何もない場所に
作り、そこで学生を育てていったら優秀な学生ができるのではないか
という実験的要素があったのではないか?
私の高校も山の中腹にあり、周りには商店どころか民家も
ほとんどありません。
そこで、学生を宿題で縛って勉強させ、一方で体育検定という
運動能力を向上させるためのプログラムを設けて頭も体も
それなりに優秀な生徒を送り出す意図があったように思われます。
教える先生も20代の旧帝国大出身者をそろえ、進学校へ向けて
万全の態勢を取っていました。
最初の頃の学年の生徒には効果があったように思われ、私の入学した
年には進学校のイメージを持ちつつありました。
そして、その年の入学者の高校入試の平均点が地区では
自他ともに認める進学校H高校を抜いて地区トップ。
その年は91人の大学進学者を出し、教育方針は実を結んだかに
見えました。
それから3年、私の年の共通一次受験者はわが校30人、
片やH高校300人
受験者数に10倍も差があっては勝負になりません。
結果は前も述べたように大学進学者は69人で就職者数は77人。
はじめて、就職者が大学進学者を上回りました。
この時、学校はどう考えたのだろうか?
当時の関係者の意見を聞きたいところです。
たまたま、我々の出来が悪かったのか?
はてまた教育方針に問題があったのか?
危機感は無かったと思います。
私の卒業する前年は進学95人(+27人)に対し就職68人
私の年は進学68人に対し就職77人(+9人)
翌年は進学54人に対し就職71人(+17人)
翌翌年は進学63人に対し就職92人(+29人)
と悪化します。
さらに翌年は進学68人に対し就職80人(+12人)
多少持ち直しの兆しが見えたものの
その翌年は進学28人に対し就職83人(+55人)
ほとんど回復不能な数字に陥りました。
大学進学95人、就職77人の高校が
大学進学28人、就職83人になるまでわずか5年
それ以降も大学進学者数を就職者が上回ることは無く、
しかも、私の卒業年だけが大学進学者と就職者の差が一桁だけで
あとはずっと二桁。
さらにその9年後に至っては大学進学者数4人に対し、
就職者数91人(@_@;)
大学進学95人、就職77人の高校が
大学進学4人、就職91人になるまでわずか14年
なぜ、これほど悪化したのか?
大学進学がすべてではないのですが、進学校を目指した高校が
ここまでボロボロになった理由はどこにあるのか?
その10年後、生徒も集まらなくなった出身高校は隣の高校に
併合され廃校になりました。
私の出身高校と同じ時期に作られた多くの新設校が廃校に
追い込まれていますが、その多くは人口減少が原因です。
私の高校は事情がちょっと違うと思います。
少なくとも郡が市に昇格し、その中心地区に作られ人口は私の時代と
さほど変わっていませんから生き残る余地は十分にあったはずです。
さらにいえば、当時は公立高校へ学力の問題で進学できない
生徒の受け皿になっていた、私立のM高校やT高校は
東大京大への進学も目指せる進学クラスを持ち
地区の進学校であるH高校とも対抗しています。
何か方法が間違っていた、そんな気がしてなりません。
いかがでしょう。
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