皆さん外国語は得意ですか?
私は不得意なんですよ(ーー;)
私の記憶が正しければ、高校二年次の
英語の平均点は27点(ーー;)
30点が赤点(不合格)なので、もう水面下に潜っている状態。
かろうじて、追試験で生き延びていました(ーー;)
しかし、ここで無謀な挑戦に挑む。
高校三年になってから大学受験を考えるのだ。
進学校でもなく大学進学者より就職のほうが多い高校で
この英語の成績で受験などできるのか???
今から思い起こせばそういう感想になりますね(ーー;)
高校三年生の最初の共通一次模試では47点でしたが
本番では自己採点ながら98点!
この話をすると、「凄いですね」と言われるのだが
凄くない。共通一次の英語は200点満点なのだ(*^_^*)
とはいえ、田舎の高校で情報もなかったし、塾もないし
3年生になるまで勉強の習慣もなかったし
共通一次は国立大学受験生だけで、平均点は110点ぐらい
ですから、不得意科目をそれなりに克服したと思う。(自画自賛)
少し前にも、英語を勉強していましたが、また挫折しました(ーー;)
英語など必要になればできるだろうという甘い考えが
頭の中を支配しているのと無関係ではあるまい。
それはさておき、先日の般若心経の勉強会でも
真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く
こんなことを先生が言われておりました。
「高○山大学がダメになったのは、チベット語、サンスクリット語、
パーリ語を学ばなくなったからだ」
なぜ、チベット語、サンスクリット語、パーリ語が必要なのか?
まず、サンスクリット語は仏典がこの言語で書かれたことから
重要視されています。
チベット語はチベットが真言宗と同じ密教が伝わっていることに加え
密教の漢訳経典からは元の原典を推測することが難しいのに対し
チベット語の経典からは元の原典が推測しやすいと言われていること
から重要視されています。
パーリ語は初期密教の色合いが強いと言われる南伝仏教の経典が
多く残されていることから重要視されています。
しかし、こんな話があります。
私の高○山時代の同級生で、K君という高○山大学出身がいた。
彼は漢文が得意だと聞いていたので、漢文を教えてもらいに
行ったところ
「いや~サンスクリット語ならわかるんですけどね」
今度はサンスクリット語教えてもらいに行ったところ
「いや~パーリ語ならわかるんですけどね」
さすがに、パーリ語は行かなかった(*^_^*)
そもそも、パーリ語経典というのがあるのは知ってますが、
パーリ語は使うどころか見たことが無い。
私は真言宗系では定評のある高○山専修学院の出身ですが
もちろん語学の授業はなかった。
そこで、サンスクリット語は独学で多少勉強しましたが、
例によって挫折した(ーー;)
その付けが知らない間に回ってくる(◎_◎;)
3月8日にも勉強会がありました。
土砂加持という修法と法会の勉強会なのですが、その法会の
説明の合間に、不思議なことに「字輪観」という瞑想法が
どなたかのリクエストにお答えして挿入されています。
「字輪観」というのは簡単に言えば、梵字を使った瞑想法
なのですが、実はこの「字輪観」の話を詳しく
聞きたかったのだヽ(^o^)/
前回の般若心経の勉強会の続きのような内容。
おお~これは大変勉強になる(*^_^*)
さて、話も聞いたし本格的な「字輪観」をやらねばなるまい。
三人文殊寺の場合は、お地蔵さんを使うことになる。
先生に聞いてみた
「先生、お地蔵さんの場合はどうなりますか?」
「いや~お地蔵さんの場合は聞いたことないですね」
なんだと?
「う~ん、お地蔵さんの梵名のクシティガルバとか
使うんでしょうが・・・」
まいったな、自分で調べないといけないではないか(ーー;)
ここから苦闘が始まった(ーー;)