「虚しく往きて実ちて帰る」
弘法大師 大唐神都青龍寺故三朝の国師灌頂の阿闍梨恵果和尚の碑
私は弘法大師のこの言葉が一番好きです。
注)すいません、自分のブログを読んでいて思い出しました。
元々の出典は荘子です。
~~~~~以下引用~~~~~
>出典では、王駘
おうたいという人物が教え諭すわけでも道理を
論ずるわけでもないのに、教えを請う者は空っぽの心でそこに行き、
帰りには得るところがあって十分満足しているといい、王駘は
言葉には出さないが、自然に相手を感化する教えを心得た人物として
描かれている。(三省堂辞典より)
~~~~~以上引用~~~~~
弘法大師が法を求めて遣唐使船に乗り、唐へ向かったのが、
延暦23年7月6日。
漂流の末に福建省についたのが8月10日。
そこで、海賊の嫌疑をかけられ50日間待機させられ
都の長安に着いたのが12月23日。
5月に青竜寺の恵果和尚を訪ね、6月に胎蔵界7月に金剛界の
法を授かり、8月には阿闍梨位を受けます。
12月15日には恵果和尚が示寂され、3月には長安を出発。
10月には博多津に着いています。
弘法大師の入唐求法は2年と言われますが、長安に滞在したのは
たった1年余り。
恵果和尚は弟子1000人と言われますが、弘法大師以外に
胎蔵界・金剛界を授かったのは義明だけとも言います。
本来は弘法大師は留学期間20年の予定ですから、
異国からやってきた無名の僧侶が真言密教のすべてをわずか1年で
学んで帰ってきたのは驚くべきこと以外の何物でもありません。
さて、恵果和尚が示寂されたときにその功績を称える碑文を
弘法大師が書かれますが、その碑文の中に冒頭の言葉が出てきます。
恵果和尚を訪ねる人は皆、
「手ぶらで行って、心が豊かになって帰っていく」
これは、他でもない弘法大師ご自身の心境でもあったでしょう。
私もこうありたいと思いますが、なかなか・・・
それはさておき、12月14日は眉山山頂のパゴダで
音楽イベントがありました。
担当していたのは、小松島市仏教会。
昨年もこのようなイベントがありました。
平和記念塔パゴダ建立60周年記念イベント無事終了しました
前回は徳島県仏教会の主催でしたが、今回はわずか13ヶ寺の
小松島市仏教会の主催。
市の仏教会の会長さんは、気合が入ってチラシも自作されて
おりましたが、内心、他の人の協力を得られるんだろうかと
気になっておりました。しかし、杞憂でした。
前日の準備に顔を出したところ、思ったより多くの方が準備に来られ
寒いだろうとストーブを設置、音響設備、太鼓も用意され、
掃除用具なども持参されて、掃除もされています。
(練習風景)
昨年の県仏教会主催のイベントより豪華だ(◎_◎;)
ちなみに、この機材などに関して一切、県仏教会から
補助はありませんし、もちろん日当のようなものはない。
全部参加者の方の持ち出しです。
もともと、県仏教会からの依頼で行っている行事なので
私などは県仏教会に一言いいたいところですが、
何も文句も言わずに、来てくれる人の事を考えて
サラっとこういうことをする方々が素晴らしいと思います。
さて、当日、一時半を過ぎてパゴダに向かうと、パゴダの中には
ほとんど人がいません(ーー;)
会長と中心になってこのイベントを担当しているT僧正から
「三人文殊さん、イベントが始まったら聴衆集めお願いしますね」
と言われたものの・・・そもそも、眉山山頂は人がほとんど
歩いていない(ーー;)
時折、パゴダの前を歩く人に声を掛けても、手を振って断られる(ーー;)
そうこうしているうちに、開式の時間が迫ってきました。
中にいる人を数えると13~14人ぐらいか。
まあまあかな。出演者よりは多いか(*^_^*)
と思ったら、始まったばかりなのに2~3人帰る(ーー;)
止めるわけにもいかないので、笑顔で見送りますが・・・
笑顔ではないだろう(ーー;)
しかし、演目が進むうちに少しづつ人が増え、一番多い時で
30人近くになりました。
延べ人数だと50人くらい?
出演者の小松島サンガ
お揃いの「れっちょう」という衣を着られていましたが、
なかなかカッコいいです。
チョーク―&S2
最後に太鼓をたたきながらの般若心経を唱えられましたが、
迫力がありました。
終わった後、会長さんに
「意外に入りましたね」
と話しかけると
「聴衆がゼロかと覚悟してました」
と言われていました。
こういうイベントがもっと増えるといいですね(*^_^*)