昨日は土砂加持法要に出仕してきました。
2月15日の日記では音合わせの
調整をしていたといいましたが・・・
前日に本番の会場でリハーサル
の前に・・・所作の説明があったんですが・・・
判らん(ーー;)
説明している方は、どう動くか判るんですが、
説明されている方は想像ができん(ーー;)
一つ二つならともかく、いくつも言われると
次から次へと忘れていきますよ(ーー;)
特に私は空間認知力低いですし、何回も練習したほうが
良いのですが・・・
私などは所作の練習をしてから、音合わせをするべきだと
考えているのですが、なぜか音合わせが先に来て
所作が後になる(ーー;)
また、所作などは本山に合わせているのですが、
私は本山で行をせず高野で行をしているので
所作は結構違っていて判らない(ーー;)
一通り練習しますが、所作は今一つよく分からない(ーー;)
「何か問題になったところないですか?」
なんか、皆さん、音や所作の合わないところなどを
指摘されていますが私としては一番問題なのは
最初の土砂加持の加持の部分。
この土砂加持法要に至るまでは、1日半の勉強会を
三回にわたって積み重ねてきました。
その大半は「土砂の加持」についての理論と法要の組み立て。
土砂加持というからには「土砂の加持」が核心部分で
それに付属する声明(仏教音楽)はサブのはず。
ところが、声明に重点が置かれて、そっちの練習ばかり
しているのは私としては納得できないところです.
加持は5分、声明が1時間という時間配分では
やむを得ない気もしますが・・・
本来であれば、各自が土砂を持ち帰って、自分のお寺で
修法して持ち寄るべきではないかと思いますが・・・
その土砂の加持が、一番最初にあるのですが、私が加持に入る
前段階の護身法というのをやっているうちに加持が始まってしまう。
護身法というのは最低でも5分ぐらい欲しいものだ。
ところが、
「護身法は出来るだけ早くやっていただいて・・・」
えええ~
土砂加持というからには「土砂の加持」が核心部分ですが
その部分を次第を見ながらやっている人がいるし、
当日それを貰ってからやり始める人もいる。
それダメでしょ(ーー;)
真言宗は印と真言と観想がセット。
それほど難しいものではないので、暗記してもらわないと。
実は印も真言も、見事にリンクしているので暗記する必要も
無いのだが・・・というのは私の見解。
「最初の土砂の加持の部分はゆっくりやりませんか?」
流石に通った(*^_^*)
翌日も大体の流れを復讐しましたが、そこで提案した。
「あらかじめ土砂を加持しておきませんか?」
「三人文殊さん一人でどうぞ」
準備の人がバタバタしているので邪魔にはなりましたが
一人だけで土砂を加持しました。
その後、もう一度、音響の調整のために全員で1曲だけ
やってみたのですが・・・
「どこか不安なとこないですか?」
「最初の土砂の加持の部分を一度やっときませんか」
しつこいと言われようがここは粘ばるところです(*^_^*)
(受付の様子)
(法要前の本堂の様子)
さて、本番ですが、散々でした(ーー;)
他の人はともかく、私は配役(声明の独演部分)が無いにも
関わらず所作も声も間違えまくった(ーー;)
本来は切るところで、次の声を出してしまうし、
数珠を袂から出すところで、出し忘れるし、
5回繰り返すところで3回で終わりと勘違いして座るし・・・
まだあったような気がするな(ーー;)
見ている方からするとそうでもないようで、
受付をされている方(身内です)が言われるには、
「ずいぶん練習しましたね」
そうかな~
参加者の方の感想でも
「うまく合ってましたね」
そうかな~
ただ、理趣経と言うお経は練習していないんですが、
これまで聞いたこと無いくらい合ってました(*^_^*)
私が13年前に最初に声明講演に参加した時は
数か月前から毎週三時間ぐらい練習していたような気がする。
それから比べると今回は声明の練習回数はかなり少ないので
そう思うのかもしれません。
ただ、今回はただの声明だけでなく、真言宗の法要として
行ったのは前進という気がします(*^_^*)