先日、近隣寺院の仏生会(お釈迦様の誕生日)の法要がありました。
コロナウイルス対策ということで、本堂外でしかも椅子の間隔を
開けるというかなり大胆な構図。
外で行うとは聞いていたんですが、ここまで大胆とは!
しかも、お経は通常より短くした。
さて、終わって帰る段になると、小さい紙袋を渡されます。
弁当にしては小さいと思ったら、中にはお布施が入っていた。
この法要は、近隣寺院も持ち回りの法要なので、通常は
食事は出ますがお布施はない。
「こんなの貰っても・・・」
と私は返そうとしたんですが、担当寺院の住職曰く
「食事も用意してないし・・・」
1人の方も
「こんなことされると後が困るけど・・・」
と言われましたが・・・
「まあ、たいして入ってないし・・・」
と最長老の担当寺院住職から言われていただいて帰りましたが
なんとなく釈然としない。
というのも理由があります。
実はここのお経は、ここの寺院に備え付けの経本で
読むので普段は練習もしていない。
それも一年に一回読むだけで、つまり、ほとんど素人並みです。
素人並みのお経でお布施貰うのも気が引ける(ーー;)
もう一つ気になったのが、ほとんどの人が、当然のように
貰って帰ったことです。
まあ、ここの住職は私と親子ほど違うし、
私より若い人は思っていてもさすがに言いにくいだろうと思う。
しかし、私より上の人は、そうでもないだろうと思う。
素人並みのお経で平然とお布施を貰って帰るのは・・・
私も結局は貰って帰ったと言われればそうなのだが
さすがに突っ返して帰るというわけにもいくまい。
私の考えとしては、お経が長いとか短いとか、
丁寧とかそうでないとか、そういうことでお布施を
決めるべきではないと思います。
お布施を受け取ることも、坊主の仕事だと思う。
しかし、坊主の側には、お布施を受け取るだけの
修行や勉強も必要だろう。
そういうのを無しにして、ただお経上げただけで
お布施を貰うのはどうなんだろうと思ってしまいました。
私は坊主になって20年ぐらい経ちますが、
こういうところは理解しかねる違いを感じて
モヤモヤしますね。
新型コロナウイルス感染症終息祈願のために
修法26座 般若心経2081巻 心経真言26722反
終わりました。
近隣寺院による協力分 般若心経12巻
終息まで頑張ります。