|
カテゴリ:音楽・テレビ・映画・小説
デトロイトやトリノを例にとりながら,雇用や人口が減少していくなかで都市のあり方を考えています. 仕組みや制度が違うので,海外都市の事例をそのまま日本に導入する際には注意が必要であることは言うまでもありません. 富山市のコンパクトシティ政策についても批判的でした. 限られたパイを奪い合う仕組み自体が維持されている限りにおいては,都市間競争の次元を超えることはできないとしています. そして,今後は都市間協働/共同をめざすべきであると提言しています. 理念としてはその通りですが,都市経営やマーケティングの如何で都市の盛衰が決まってしまうこの仕組みのなかで考える限りは,都市間協働は絵に描いた餅です. 都道府県や国といったより大きなスケールの管轄地域をもった行政が具体的に都市のあり方,人口の配置,産業政策についてどのようなビジョンと,それに基づいた施策を打ち出せるかに大きく依存してしまうのではないかと思います. これまでにも全国総合開発計画は何度も地方への産業分散を図り,頓挫してきた経緯があるわけで,東京圏への一極集中傾向は止まる兆しが見えません. 地方創生政策においても,それが実現しても,地方間の優勝劣敗が明確になるだけであろうし,そもそもリタイヤ世代の地方移転を目指すのみでは,医療財政負担の地方への押し付けと捉えられても無理はありません. 人口の多寡だけで各地域の維持可能性を語ることも一面的に過ぎるように思います. もともと人口が少なかった時代にもどるだけとかんがえれば,現代は高度経済成長期に郊外を中心に乱開発を通じて可住地面積を広げすぎたのかもしれません. それでもどっこい生きる地域は世代継承しながら残っていくのだし,放棄されていく地域は空き家が並んだゴーストタウンになっていくだけなのかもしれません. 当該地域の住民は今のうちに,現役世代やあるいは他の支援者と今後この地域をどうしたいのかについて話し合い,引き継いでいくならば,その具体的方策を見つけていかなければならないのだと思います. 補助金による支援を求めること自体は否定しませんが,あらゆる地域がお金で解決できるような次元をすでに超えています. 以上のような,コミュニティや集落の維持をめぐる危機的な状況と具体的な対応策について機会があればまとめてみようかと思います. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.07.12 00:41:33
コメント(0) | コメントを書く
[音楽・テレビ・映画・小説] カテゴリの最新記事
|