世界的な画家・絵本作家の安野光雅(あんの・みつまさ)が亡くなった。94歳。その博覧強記ぶりは夙(つと)に知られるところだが、それは知識の押し売りでもなく、豊富な体験の自慢でもない。抑制的な、しかし歯切れの良い文章の中から、包み隠された本音が時折こぼれ落ちて来るのが良い。安野の著作の多くはそのように、リズム感に満ちた慕わしい表現に満ちている。
本ブログで度々採り上げた『算私語録』もその一つ(朝日文庫、全3巻)。改めて読み返してみて、こんな行が目に入った。
子どもの頃通った道を、大人になって見ると、思いの他せまいことに驚くのは、郷里へ帰った人が誰でも経験することである。幅も、距離も、高さ広さ、それに時間など、大人と子どもでは、空間的な感覚がまるでちがうもののようである。
私は、最近郷里に帰って、この不思議さを、懐かしい思いとともに体験した。しゃがんで子どもの目の高さで見ればいいのかと思ってためしてみたが、それは、子どもが立っているのではなくて、おとながしゃがんでいるのにすぎなかった。(『算私語録』第一巻・183)
本書が成った経緯については、第一巻の序に、次のようにある。
昔、一丹(いちに)の国に算という者があった。歌舞を好み、私語徒らに多く、遂に勉学に励むことは無かった。師はこれを叱り、私語、雑言を記録し、七年続けることを以て罰とした。算は敢て苦言を記し、愚言をもあまさず書きとどめ、拾遺して一巻とした。
「一丹」だけ「いちに」とルビが振ってあるが、文章全体をよく見れば、
算=さん、私語=しご、録=ろく、七=しち、罰=はち、苦=く、拾=じゅう
と洒落ているのが分かる。算は安野本人、師は数学者の遠山啓(とおやま ひらく、1909-79)のこと。第二巻・第三巻の序でも師について触れており、安野は遠山を余程、敬愛していたのだ。