箸墓(はしはか)古墳_story(2548) 2011.11.28
高校(大阪・大手前)の同窓会で、古都散策を行った。
奈良の南部、大和三山(天香久山(152m)畝傍山(198m)耳成山(139m))、三輪山などがある橿原、桜井両市をバスで巡る旅である。
歴史の好きな同級生が幹事となって企画した旅である。総勢46名。よくも集まったものだ。
氏は歴史探訪に1日30kmは歩くと言う。ものすごい人も居るものだ。
最初は、箸墓古墳へ向かった。
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ 難度の高い早口言葉である。読み方は「倭(やまと)・ 迹迹日(ととひ)・ 百襲姫(ももそひめ)」と区切れば読みやすい。)のお墓である。
倭迹迹日百襲姫は、第7代孝霊天皇の皇女、第10代崇神天皇の姑。
箸墓古墳が一躍有名になったのは、炭素年代法で、4世紀と思われていた古墳が、3世紀中期の可能性がでてきたため、倭迹迹日百襲姫が「卑弥呼」ではなかったとする説が浮上したことによる。
箸墓の由来は、巫女が箸を刺されて殺害されたとの伝記から。
卑弥呼の没年とされる西暦248年(魏志倭人伝から)は、日食(北九州が皆既日食)の年にあたり、太陽を祀るはずの巫女が、日食が原因で殺害されたのではないかという説がある点が面白い(この場合は北九州でも説が成り立つ)
関連する伝説に、天照大御神が岩戸に隠れたのは、日食現象を指しているのだという(荻生徂徠説)古代史、最大の古墳で、現在でも11番目の大きさ(全長272m)と言う。古代において大変権力を持っていた人物の墓(前方後円墳)には違いがないのである。
沢山の謎を秘めているからこそ、古代史は面白い。
2kmほど先には最近発掘された卑弥呼の住居と思われる屋敷跡が見つかっっている。(2009.11 奈良県桜井市辻の纒向遺跡で、3世紀前半で国内最大の大型建物跡)
箸墓(はしはか)古墳ー前方後円墳の「円」の部分
宮内庁管轄の古墳ではあるが、周囲の一部は宅地化されている。
発掘調査が待ち遠しいが、近所との話し合いも必要なのであろう。
右は前方後円墳のうち「円」にあたる部分。
宅地はその一辺に食い込むように3軒ほど建つ。
宮内庁の看板が至る所に立ち入り禁止を訴えている。
どんぐりのなる木が多いらしく。
側溝にどんぐりがたくさん落ちていた。
Picture1(sketch-direction 260° pm12:45 Sketch point:Hashihaka-kofun,Sakurai City,Nara Pref.JapanGPS 34.538728 ,135.841803 (°)(34°32'19.42" N,135°50'30.49" E)標高82m
Google Earthを楽しむ方法
Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex.
36.7114 ,139.606369(°))を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。