Grotta Azzurra(Blue Grotta )_ story (4410)2019.9.7
These days are still hot, but it has become very cool in the morning and evening. The sound of the gathered insects relieves daytime fatigue
まだまだ暑いが朝晩は非常に涼しくなってきた。集(すだ)く秋の虫の音に昼間の疲れを癒す。
■今週の2枚
2枚の"青の洞窟"
2019.8.27だったか、夕刊のPhotoStory欄に西伊豆堂ヶ島の「天窓洞(てんそうどう)」の美しい写真が載った。説明には、イタリアの「青の洞窟」に匹敵する美しさだという。与謝野鉄幹、晶子夫婦も訪れ詩を詠んでいる。
堂ヶ島で洞窟巡りの遊覧船に乗ったことは覚えているが、この天窓洞に寄ったのかは記憶がさだかではない。一方カプリ島の「青の洞窟」はよく覚えている。
天候と波によっては中に入れないこともあり、小さなボートがくぐれる1mほどの小さい穴から中に入り、青の世界を満喫するのだ。底は見えないがキラキラと青く輝きこの世のものとおもえなかった。
このカプリには思い出が沢山ある。ナポリ港のタクシーにスケッチ道具が入ったカバンを持ち逃げされ(翌日そのタクシーが見つかり返してもらっている)、宿屋でパスポートの返却を忘れられシチリー島で無いことに気付き急遽往復しているのである。予定にない滞在のため2回は青の洞窟を満喫している。
思い出したり、新聞を模写したりして2枚の絵を較べてみた。
目次
徒然の記その1 朝餉
徒然の記その2 目黒区の坂道
徒然の記その3 天狗の集い
徒然の記その4 ガラ携 終焉?
徒然の記その5 ミツキエヴィチ著「パン・タデウシュ」
徒然の記その1 朝餉 2019.9.1(日)
■食べ方を変えた・・てんこ盛りにして食パンを齧ることをやめたのだ。自家製食パンの上にハム、目玉焼、キャベツ(ヘタや茎の部分を薄く切ってチンしたものにマヨネーズをかけて混ぜたもの)と3層にして、大きな口を開け、ポロポロと食材を落としながら食べる従前の、10数年来の、食方法を改善した。
つまり口の中がいつも満杯状態で、咀嚼に時間がかかり喉を通っていかない能率の悪い食べ方から、カミさんを見習って、常に1層のみにして上品に食べる方法へ。
この利点は、口の中が比較的空くため、咀嚼が早く、能率的であることと、副産物としてパンそのものの味が味わえるという点。
目玉焼きはパンといっしょに齧るように食べていたものが、ホークで小切りしながら口に運ぶという所作に代わり、キャベツは、野菜を最初に食べるという法則に則り、それのみをパリパリと食べ胃壁を保護する役割へという当初の目的に合致するようになった。
なにか悔しいが、カミさんの食べ方が正しかったのである。
”フライング食べ”という悪い癖はそのままであるが、startからendまでの、口に溢れた食材を飲み込もうと涙をこぼすことなく楚々としてほぼ同時に朝餉を終わるという平穏な時が流れるようになった。
カミさんとの違いはコーヒーの濃さの違い・・16:1ほどの濃さの差がある。小さじ大盛り4杯と小盛り半ばいという調子であるが、これだけの差を付けても夜は寝つきが悪いのがいまだに続く。
徒然の記その2 目黒区の坂道 2019.9.4(水)
■港区、文京区に続いて今回は目黒区の全坂を踏破しようと25kmの旅を思いついた。
参考にした本:日本坂道学会会長 山野勝著の「大江戸坂道探訪」目黒区(大橋~中目黒、上目黒~三田、下目黒~目黒)
日本坂道学会副会長 タモリ著の「タモリのTOKYO坂道美学入門」目黒区(相ノ坂、目切坂、別所坂、なべころ坂、行人坂、寺郷坂)
日本坂道学会踏破班・turbo717の目黒区一周案・・(凡例・・[ ]・・地名、橋、川、交差点)
[田園都市線・池尻大橋→氷川神社]→松見坂→旧大坂→大坂→相ノ坂→[西郷山公園]→上村坂(10°)→目切坂→旧新道坂→[中目黒駅]→小川坂→[烏森小学校→蛇崩(じゃくずれ)伊勢脇道(蛇崩川緑道)]→謳坂→稲荷坂→けころ坂→
[駒沢通り]→新道坂→別所坂→中山坂(恵比寿商店街)→ビール坂(1)→[日仏会館]→ビール坂(2)→[アメリカ橋→艦艇装備研究所]→新茶屋坂→茶屋坂→[田道橋]→馬喰坂→[長泉院附属彫刻美術館]→なべころ坂→十七坂→権之助坂→富士見坂→
[JR目黒駅→大圓寺]→行人坂(15°)→[雅叙園→太鼓橋→五百羅漢寺→蛸薬師成就院]→石古坂→目黒不動・男坂(25°)・女坂→三折(みおり)坂→[林試の森公園→小山台公園→清水池公園→碑(いしぶみ)さくら通り→
→呑川本流緑道→都立大学駅]→柿の木坂→どぜむ坂→[すずめのお宿緑地公園(古民家:栗山家復元屋敷)→碑文谷八幡神社]→鉄飛坂→寺郷坂→[岡田家の長屋門]→兵庫坂→[中根公園→都立大学駅]
■とこんな壮大な計画を立てたたにも拘わらず、start地点で肝心のタブレットが動かず・・Maps.Meを起動させたままにしておいたからなのか、電源が30%になっており、手操作でPower On/Offをしている間にスクロールが出来なくなり動作不良。バッテリーのチャージだけは続けておいたままリュックにしまってしまった。
地図なし、参考本なしの「皆無」の状態で走り始めた池尻大橋。
頭にどれほど記憶に残っているかが勝負である。「地図」があったとしても、realな「現地」との違いにいつも戸惑うのであるので、コンパスだけが頼りとなる。ビル街を平面図に置き換えながらそろそろと走っていく。
先ずは池尻大橋から玉川通りを目黒川方向に走る。ここを最寄り駅として職場に向かう人たちが行き交う。ここは都心の真っ只中である。246号線の高架や大橋JCTがあり、ものすごい交通量と騒音。都市の息吹を感じる瞬間だ。左折して急階段を登り、氷川神社へお参り。ベンチを借用してrunning姿となる。
ここは旧上目黒村の鎮守の神社で朝早くからお参りする人も多い。稲荷など数か所に賽銭箱がありrunの祈願。別の階段を下りて、松見坂に向かう。
とまぁこんな調子で、紆余曲折を辿りながら幾多の坂をすっ飛ばしつつ、住宅街の新たな坂を上り下りするなどして目的地の都立大学駅に辿り着く。
目黒区内の4つの領域を「舐める」計画であったものはだいたいにおいてクリアしている。
寄る予定のなかった「目黒通り」に面した「寄生虫館」や、「元競馬場前」というバス停やその史跡(S8年に府中に移る前の競馬場)を通ったのは収穫。
雅叙園がこんなにも大きくなって立派になっていることも知らず、目黒川の景観を見直す。
■目黒寄生虫館(Meguro Parasitological Museum)・・世界で唯一の寄生虫標本文献の館。珍しい物という意味では、アイスランド首都・レイキャビックにある「ペニス博物館(Icelandic Phallological Museum)」同様で、名前も似ている。
まぁ目から鱗の展示館である。6万点の標本や模型。寄生虫を蝋人形のような巨大な模型にしてとにかく分かり易く解いているのだ。自然界の生き物で寄生しながら生きているという虫に焦点をあてた独特の展示。サナダ虫(tape worm 日本海 裂頭条虫)の8.8mの標本には驚くばかりである。
■林試の森公園・・12万ha(東京ドームの3倍)・・目黒区と品川区・小山台にまたがる公園。旧林業試験場で、1978(S53)につくば市に移転したあと都立公園として整備された。ポプラ並木が美しい。山手線すぐ外側の住宅街に、これほど大きい公園があったとは知らなかった。西には小山台公園と隣接して憩いの場となっている。
■すずめのお宿緑地公園(古民家:栗山家復元屋敷)・・目黒区碑文谷(ひもんや)にある7500平米の公園。竹林が美しい。雀のねぐらがあったことろから「すずめのお宿」と名付けられた。緑ヶ丘にあった古民家が移築され公開されている。
今回のrunでかなり土地勘が付いたので、最終目的地を武蔵小山の銭湯として再度行ってみよう。この目黒区、5冊もある「みどりの散歩道」からも分かる通りほとんど隈なく散策できるようにもなっている。今回の坂道と組み合わせるとかなり面白い見どころ満載の散策ルートがいくつか組み立てられるのではないかとほくそ笑んだ次第だ。
それにしても、日本近代文学館、前田邸、東大先端科学研究センター、駒沢公園、大岡山の東工大、自由が丘、・・・複雑な境界線によって大学や公園を取り込んだこの目黒区。なかなかの区である。「JR目黒駅」が残念ながら目黒区にはなく、品川区上大崎に位置する。これは渋谷から大崎までほぼ一直線の山手線の敷設状態と照らし合わせると致し方なかったのではないかと。
徒然の記その3 天狗の集い 2019.9.4(水)
■上記、目黒区巡りは、実はこの「天狗の集い」にひっかけて行動したもので、これがなければタブレットが起動しない時点で帰宅していたところであったのだ。夜までにはなんとしても地図なしで巡りたいと。このためにコンビニに入り地図を参照しようと思った。しかし最近の本はテープが貼ってあって開かないのだ。交番には人がいないし地図すら貼っていない。結局駅の案内板をみて地図を頭に叩き込むなどして駆け足。相当頭の鍛錬にはなった。
時間があったので、都立大学駅前のカフェのテラスでcocoaをすすりつつ、本を読む。なかなかゴージャスな気分である。
■さて、今回の天狗。パリ帰りの男性からお土産話をもらった。
・PBP自転車レース・・その男性の息子さんが走ったという自転車のサイクルイベントがPBP(Paris-Brest-Paris, パリ~ブレスト~パリ 1200km)で、4年ごとに開催されるブルベ(BRV:(仏:Brevets:意味は”認定”)。タイムや順位にはこだわらず、制限時間内での完走を認定するロングライドのサイクリングイベント)の世界最古で、かつ最高峰と位置づけされる自転車イベントである。
参加資格は、前年に1000or1200km→600km→400km→300km→200kmのいずれかのカテゴリーでブルベを走ると順番にエントリー資格が貰え、さらに開催年に、200km、300km、400km、600kmの4本のブルベを走れば本エントリできるという。今年度の日本からの参加者は500人。全世界で6000人の参加であったという。この6割が完走したらしい。この8月中旬。
貰ったレジュメにサン・ブリューという町が出ていた。ブルターニューのSaint-Brieuc(サン・ブリュー)と言えば、2016年の Cathedral Saint-Étienne de Saint-Brieuc (サン・ブリュー大聖堂)を起点とした海岸伝いの旅を思い出す。西海岸に向けて見渡す限りの麦畑の一本道がある。なだらかな起伏がある素晴らしい景色である。そこを自転車ですっ飛ばして来たというからすごい。この男性はパリの郊外のRambouillet(ランブイエ 実は長旅の歩き始めはこの町から歩いたのだ)のStart地点で息子さんを応援したという。
・不思議のメダイ・・ポルトガルのファティマ(Fátima 1917年5月13日)やピレネーのルルド(Lourdes 1858年2月11日)と同様、パリ市内にもマリア伝説があった。時は1830年11月27日。7区にある修道院(パリ リュ・デュ・バック140)でカタリナ・ラブレという一人の女性の前に聖母マリアが出現したという。マリアは楕円形の枠の中に立っておられたという。それがくるりと裏返ると12の星の輪の中に、十字架と聖母マリアを示すMの文字とそれを貫くようなI(Immaculata;汚れない)の文字があり、その下の2つの心臓型の模様があったという。
聖母マリアは、これをモデルにメダイを作るように命じたという。『それを身につける人は大きな恵みを受けるでしょう』と。1831年からこのメダイが売られている。コレラを快癒させたりさまざまの奇跡があり流布していったという。現在も、不思議のメダイ(or メダイユ)として売られている。
徒然の記その4 ガラ携 終焉? 2019.9.5(木)
■docomoのFOMAのガラ携に限って言えば、2020年代半ば、3Gの電波が終焉するという。auなど他の3G対応機種は2022年ころまでというが、いずれにしろ「ガラ携」は早晩無くなっていく。4GやLTEであれば、10,20年はokであるが。
もうとっくに修理部品はなく、壊れたら終わりである。上記目黒区の項にあるように最近富に5年物のASUS(エースース)のタブレットの調子がおかしいのだ。頻繁にPowerOffとなってしまいその度に電源を入れなおして使ったりしていた。
カミさんにはガラ携の買い替えの案内が来た。この機会なので割引セールなどとうたったスマホを物色しに一緒に冷やかしに出かけた。
彼女のタブレットは”格安ASUS"で動作が大変緩慢である。気長に付き合わなければとてもやってはおれない。下6桁の電話番号が一致したというなにか詐欺めいたチラシは、「始めてスマホ」は1万円ほど安く買えるクーポン付きとなっている。こちらも「初めてです。」と言ったら5千円割り引いてくれるという。
なんだかんだ言いながら新しい機種を買わされて店を出てきた。
5時間もかかって新機種に乗り換えたのだ。要するに「タブレット+ガラ携帯(計550g)」→「スマホ一本(250gケース付き)」 という従前の生活に戻るのである。
Garaxy 10のsc-03Lと、同 sc-04Lの2台。
驚いたことにいままでのコネクター;microUSB端子は使えないのだという。上下どちらからでも挿入できる最新型端子で横幅がすこしでかい(6mm→7.5mm)。なんということだ。バッテリーチャジャーも使えなくなってしまうではないか。 まぁこのバッテリーも一昨日から突然動作を終了してしまった。あらゆる物に寿命があるのだと痛感。経済は回るように出来ているのだ。
このスマホ「Garaxy 10」同志だと重ねるだけで緊急充電ができる。カメラの画素は1200万画素という。これだけのハイスペックを享受するだけ写真を撮っていくのであろうかと。こちとらはMaps.MeやGeographicaがサクサク動いてくれさえしたらokなのである。
さぁそれから大変。お互いに苦戦中。
画面サイズはタブレットの147平方cm(縦15.2cmx9.7cm)から103.6平方cm(14.8cmx7cm)と大きさが70%となってしまったのでものすごく小さく感じる。ただ防水仕様などがあり、いままでタブレットで苦戦してきた「汗」や「雨」による誤動作は避けられそうである。
音声入力が可能となったので、スマホに聞いてみようか(Fomaであったような羊のマーク。こちらでは紙のようなアイコン(My Daiz)がひらひらと動きながらこちらの様子を窺っている。)。それに「すみません。私は何をすればいいのでしょう。教えてください!」と。・・この時の回答が傑作・・「すみません」と謝り癖が付いているようです。と。よけいなお世話である。
なにせ使い慣れないものであるので習熟していかねばならない。「設定」ボタンが見つからず何回「設定!」と喋った事か。音声認識は抜群。一言も聞き間違えない。取説などを探し回って調べてくれる。なかなかの優れものである。
キーボード入力ではどうしてもQWERTYキーになってくれない。これもアプリをインストールすればokとなった。本当に世話が焼ける!
いまだにお互い、「電話」ができないのだ。スマホで電話を掛けた経験がないためドギマギ。
所感:
携帯ショップは盛況!どこの店も満超員である。隅っこのブースでは、初心者のためのスクールも開催されていたりする。この買い替えの時期に日本国民全員がこういうショップに通い、説明員の思うつぼにまんまと嵌りながら機種を選んで行くのであろうか。
徒然の記その5 ミツキエヴィチ著「パン・タデウシュ」 2019.9.4(水)
■ポーランド最大の詩人とされるアダム・ミツキエヴィチ(Adam Mickiewicz 1798-1855)の生前最後の長編叙事詩「パン・タデウシュ」(Pan Tadeusz)を読んでいる(工藤幸雄訳 講談社 文芸文庫)。正確に言えば第一之書」から「第十二之書」と「エピローグ」の9842行+129行の半分まで行ったところ。
後半を探している最中である(現在は絶版となっているようで、しかも図書館などには置いていない)。 2000年には、ワイダ監督のもと映画化もされている(パン・タデウシュ物語 アンジェイ・ワイダ監督 ボグスワフ・リンダ ダニエル・オルブリスキ)。
リトヴァ(Litwa:リトアニア共和国)の自然・風物・風習・人情・気質・食事を詩的なというよりほとんど小説の文章のように詳述しているから当時の生活が手に取るようにわかる。
おそらくショパンと同時代のポーランドやリトアニアの牧歌的な風景が展開され面白い。狩猟の場面など実況中継さながら。熊を射止める場面もあり、手に汗を握る。
司祭、伯爵、判事、廷吏、僧侶・・・登場人物がポーランド語によくある「z」が多用される名前で舌を噛むが。朗読劇としても面白いのではと思う。10000行くらいの文を声色を変えて4時間ほどで演じたらどうだろう。何回も読んでみて挑戦してみよう。
(編集後記)
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