佐藤庄司が旧跡-2
奥の院薬師堂は佐藤基治公一族の念持仏として祀られている。地元では鯖野のお薬師さまと親しまれている。薬師堂の右手には佐藤継信公・忠信公の墓所があり、佐藤一族の墓が薬師堂の裏手へと続く。佐藤庄司と云われた基治公の長男佐藤継信は四国屋島の合戦で義経の身代わりとなり27歳で戦死。また次男忠信は後に京都堀川の館で山僧に囲まれ、義経の身代わりとなり25歳で自刃。その後無事奥州に下った義経は平泉への途中大鳥城の基治公に会い、継信・忠信の武勲を伝え追悼の法要を営んだと伝えられている。基治公、乙和御前夫婦の傍らに椿の古木があり、乙和の椿と名づけられている。二人の子どもを戦乱で失った母の乙和の哀しみがこの椿に乗り移ったのか、莟のままで開かずに落ちる。椿の実が落ちていたのでいぶかしく思いつつ拾って見ると実は真っ黒で中が空洞になっていた。 いにしへの悲哀を今に椿の実 義経の太刀・弁慶の笈が瑠璃光殿に納められている クリックしてね ↓ 人気ブログランキングへ