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2021年07月23日
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神田神社(こうだじんじゃ)は、兵庫県丹波篠山市大山上古河坪にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「神田神社(丹波国・多紀郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。

丹波篠山市から丹波市に通じる国道176号線の大山上バス停西側の丘上に鎮座する。

社前の道はかつての旧山陰街道で、丹波から但馬に通じる街道として重要視され、多くの旅人が往来した。

飛鳥時代末期の大宝2年(702年)9月9日、大山谷の石角(住)口に創祀された。御祭神は大巳貴神。

当地は、弘法大師空海が開基した京都東寺の荘園だったところで、空海の遺産である綜芸種智院を売却した代金で購入されたという。



平安時代の承和12年(845年)、大山荘が立荘した際、当社は大山荘の総鎮守と定められ、一宮神社と称された。承保元年(1074年)、大嘗祭において神田郷で抜穂式が行われた。それを祝った大江匡房の下記の歌が『千載集』に見えている。
千早振る 神田の里の 稲なれば 月日と共に 久しかるべし
その後も一宮神田大明神と称せられ、皇室はもとより公家・武家から篤い崇敬が寄せられた。

平安時代末期の応保2年(1162年)12月、参詣に便利なように、現在地より北方5町の山間避地より、現在地に遷座した。



『東寺百合文書』によれば、鎌倉時代の仁治2年(1241年)に「一二宮両社御神楽料」が、室町時代の応永23年(1416年)に「九月九日朔幣」が行われた。

それによれば、御神楽・田楽などの費用、お供え物やお礼、神社の維持費などを東寺が負担した。



また、足利尊氏が武運長久を祈って加護大般若経を寄進、応永元年(1394年)に征夷大将軍になった足利義持が応永6年(1399年)、管領細川満元に御教書を奉呈させ武運長久を祈った。

戦国時代末期の天正6年(1578年)8月、明智光秀が大山城の中沢氏を攻めた際、その兵火にかかり、社殿や古記録がことごとく焼失した。
ほどなくして再建され、江戸時代になると、篠山藩主の祈願所として崇敬を受けた。





社殿は延宝8年(1680年)、明和2年(1765年)に修理が加えられ、寛保2年(1742年)には、時の藩主松平信岑に尽力によって正一位が授けられ、以後、正一位神田大明神と称した。

例祭はもとは旧暦9月9日。現在は10月10日前後の休日に二宮神社へ鳳輦の渡御が行われる。



現在は、市内畑宮に鎮座する佐佐婆神社の兼務神社か。




かんだ神社、と一般的なネット情報ではあるが、
地元では、こうだ神社、と呼ばれている。





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最終更新日  2021年07月23日 08時13分16秒
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