カテゴリ:芸術的生活行為
狩りの思考法 (アサヒ・エコ・ブックス 40) [ 角幡唯介 ] 引用ここから→ p190 6 偶然の出来事は私の意志では制御できない。おのれの意志とは無関係に私の運命を決定する何かに、最後は自分の未来を賭けるよりほかない、というのが狩猟者という存在である。 獲れたら未来は生じるし、獲れなかったらその時点で過去からの線が途切れる。そして、狩猟者の運命を決定づけるのは、その偶然の機会を狩猟者にもたらす土地という存在である。いるはずなのに、何故かいない。不安が増すなか、でもいるはずだ、と信じて旅を続けて、やっぱり本当にいたときの安堵感、旅がつながった(命がつながった)との喜び、それは何ものにもかえがたい。獲れるか獲れないかという、こちらの意図や事情を超越した<今目の前>に組みこまれることで、その機会を提供する物理的当事者たる土地に組みこまれ、土地とつながり、調和する。 引用ここまで。 まことに、不謹慎な事ながらあたしの買い物行動とよく似ているので、 文章の意味が痛いほどよく分かった。 以下、あたしの作文。 半額シールが貼ってあるかどうか、という出来事は私の意志では制御できない。己の意志とは無関係に私の運命を、つまり半額商品をゲットできるという私の運命を決定する何かに、最後は自分の未来を賭けるよりほかない、というのが、半額商品狩り、という存在である。 カゴに入れたら未来は生じるし、いれなかったらその時点で過去からの線は途切れる。そして、ハンターの運命を決定づけるのは、その偶然の機会をハンターにもたらすスーパーという存在である。(半額商品がいつもこの時間帯に)あるはずなのに、何故かない。財布の中の金子は足りるのだろうか、という不安が増すなか、でも、あるはずだ、と信じて買い物を続けて、やっぱり本当に有ったときの安堵感、予算クリア(生活費です)との喜び、それは何ものにもかえがたい。半額商品が買えるか買えないかという、こちらの意図や事情を超越した<今目の前の売台>に組みこまれることで、その機会を提供する物理的当事者たる大型店舗に組みこまれ、スーパーとつながり、調和する。 商品群別に、半額シールは貼られる時間帯が違う。 お店によって違うと思うが、野菜は何時ごろ、乳製品は何時ごろ、肉類は、、と、なり、 ついには、夕刻、総菜関連は半額になるのだが、調理をまだ、自前でしているこちらとしては、素材を一通り見たいので畢竟、午前中に出かけるのだが、。。そして、 マークダウンの棚、ってのもあって、これらは、半額以下となるのでチェックは怠ってはいけない。たまに、、正規価格の商品をそこにおいたまま、お安いものをカゴにいれてしまう慌て者の買い物客がおり、これを今度はこちらがカゴに入れてレジまで行くと惨めな目に合うので、注意が必要である。忙しい時代の時は、極端な話、価格帯さえ把握していればおおよその商品の値段合計は見当がつくので、時間優先で買い物をしていたものだ。今は、2人年金暮らしであるからして、充分に商品価格のチェックをして、出来れば、グラム単位価格の比較もして、購入に至る。 予測不可能なことに出会って、作った計画と違うじゃん、とかにかんして、 著者は、旅程に関しても長い文章でつらつら述べておられ、それはそれで、納得だし面白いので読み進めるが、、でもね、、と思うことがある。 こうみ子育て、特にごく小さいときの子育ては、冒険以外の何物でもないよね、。。と。 計画通りに行く、なあんて、机上の空論だよね。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年12月18日 16時39分55秒
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