ゲーデルの不完全性定理と数学ガール
たまたま、本屋に立寄り、漫画コーナーを眺めていると、もしドラと数学ガールが目に入る。して、もしドラは、既に会社での標準図書にも指定済みだし、いまさらなので、数学ガールを手に取ってみる。 なんじゃこれは。「ゲーデルの不完全性定理」がそのお題ではないか。なんとも、フェルマーに続いて、ゲーデルとは素晴らしい。残念ながら、最新刊?の数学ガールの中では、ゲーデルの解説はごく一部に限られ、自然数に関するペアノ公理+αまでについて述べられているにとどまるのだが、興味は俄然と湧いてくる内容となっている。 数学ガール ゲーデルの不完全性定理 1 (MFコミックス アライブシリーズ) (コミックス) / 茉崎...価格:550円(税込、送料別)漫画でなく、オリジナル版には、最終章にゲーデルの不完全性定理が収録されているようだ。【送料無料】数学ガール(ゲーデルの不完全性定理)価格:1,890円(税込、送料別)ゲーデルは、その不完全性定理によって、ごく簡単にいえば、「世の中に完全な理論はない」ということを証明してしまったようなものだ。しかし、ゲーデルのこの不完全性定理自身も、不完全ではないのかという疑問もわいてくる。これについては、たとえば、竹内薫氏の解説によれば、-ゲーデルの不完全性定理は、「理論」についての定理であり、不完全性定理自体は理論ではなく、「論理」証明なので、不完全ではない。-とのことである。理論と論理の違いも含めて、あれあれ、また、なんとなくだまされたかのような感がある。このような話をきくと、いつもシュレディンガーの猫実験のお話的な印象を受ける。我々は、一般的には、意味論的に正しければ、証明可能と考えている。論理学では、証明可能な文が正しい文であれば、完全。構文論と意味論とが一致することが、「完全」。即ち、意味論的に正しい文==証明可能な文。しかし、ゲーデルは正しいにも関わらず、証明できない文があることを示してしまった。より正確には、ゲーデルの不完全性定理は、算術を含む理論において、「真であるにもかかわらず、証明できない文が存在する」ことを示してしまった。-第1不完全性定理・・・自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。第2不完全性定理・・・ 自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。 -なお、やや不完全であった第一不完全性定理について、1936年に、ジョン・バークリー・ロッサーは、ゲーデルの当初の目的である「無矛盾ならば不完全」であることを示し、今日では、通常これを第1不完全性定理と呼んでいるようだ。tyeesコメントあれまー、大変だ。ほとんどの数学理論は算術を含んでいる。ほとんどの数学理論は証明できない部分が存在するということか。「この命題は証明不能である」という命題Gが正しいとすると、その命題Gは正しいのに証明不能となってしまう。もし、その命題Gが正しくない、証明はできると否定すると、命題Gが証明可能となり、矛盾を起こす。真なのに証明できない命題があるということによって、ヒルベルトが目指した数学の完全性は壊れてしまう。-memo-ゲーデルの不完全性定理(1931)ロッサーの第一不完全性定理の拡張(1936)チャイティンの数学全般への拡張(1989)。これらにより、超数学が発展した?-memo-・ニーチェは「神は死んだ」と言った。(1885)・リチャードドーキンスは、The God Delusion、神は妄想であると言っている。・苫米地氏は、ゲーデル1931、チャイティン1989、グリムの定理1991により、神の完全性は否定されたと述べている。-memo-理論・・・論理によって構築された建物。理論と論理は別のもの。これを理解しておく必要があるようだ。また、意味論(セマンティクス)と構文論(シンタックス)の違いも理解しておく必要がある。論理学で言う「完全」とは、構文論と意味論が一致せねばならない。3+2=5を例にとると、'3+2=5'「3」という記号の右に「+」という記号を描いて、その右に「2」と「=」を書く。これが、構文論。3も+も=も単なる記号である。意味論では、記号を具体的なものに置き換えて意味として成立することをいう。即ちたとえば、三個と二個のりんごを加えると、合計五個のりんごとなる。これが意味論。日本語でいえば、文法は構文論で、読解は意味論的。