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カテゴリ:HUMLA 2010 Spring
阪神淡路大地震(1995/01/17)崩壊した夙川の家中から、ふたたび世に出たノダ。
昨朝、S.S.老師から抗ヒスタミン剤とステロイドのセレスタミンが送られて来て、『飲め!』いうてた。そこでメンサーブが先日夙川へ立寄ったら『あいつフイルムあった?言うとったか?というてはったデ!』と横でポツンと呟いた。『そや!探してみよう』ということになって・・。 さっそく本棚の上の写真戸棚に確かあるかも・・・?確か老師の地震崩壊家屋から引っ張り出した16ミリ・フイルムの存在を・・・。 『・・・あった』 確か三次隊の玉井康雄さんが撮ったはず・・?彼は体調崩されているらしいので一次隊の兼清喜雄さんへ送ることに 老師からの指令が・・・。DVD化すればみんな簡単に観れる。三次隊のブリガンダキ遡上の画像はみたことがあるけど、これが一次隊の兼清さんが撮っていたものなら楽しいのになる。画伯も三枝女史も、山本さん、石浜さん、大野さんらもきっと感動するだろうなぁ~。 P29 1961~1970報告書(大阪大学山岳会).1975. 序から ところで、P29はハルカグルンピークとネパール観光省は勝手に故人の名前をこのピークに付けた。 故人には失礼だけどこの山に彼の名前を付けたという意味が解らない。これはやはりP29の方がいい。K2とP29のふたつはこの名前しかない。何ンにも知らんネパールの小パ役人がただの思い付きで、この山の名前を変えるな!第三登は誰もしてないのだゾ!そんな難しい山やけど・・・。 (第二登はマナスル南西壁側から1979年ポーランド隊が登頂した) 篠田軍治『P29西面』大阪大学山岳会.1962. ← この可愛い美少年は誰?やねん こわいい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/06/22 09:14:01 AM
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