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カテゴリ:HUMLA 2010 Spring
ラクシャ・ウライ山群
S.Wignall“Spy on the Roof of the World”Edinburgh and New York 1996.S.ウイグノール『ヒマラヤのスパイ』三浦彊子、1997.を読んだひとには、概念図を見てもらへば良く解るけれど、ウライ・バンジャン(峠)への路、サイパル・カルカ(サイパル峰ではない)の南に連なる、国境からラクシャ・ウラィ2峰 6552m N30 00 57 E81 08 05、ラクシャ・ウライ1峰 6609m N30 00 19 E81 07 46、ラクシャ・ウライ3峰 6420m N29 59 35 E81 07 48 ラクシャ・ウライ4峰 6370m N29 58 16 E81007056、ラクシャ・ウライ5 峰 6446m N29 57 28 E81 07 37、Dhaulagari 6838m N29 57 01 E81 07 17がつながる。この内、1峰にはUK Team(アダム・トーマス隊長)は2001年、1峰と3峰のコル6142mから南東面の900mの雪壁をアルパインスタイルで頂上50m下でBP、頂上までは雪崩の危険を感じ踵を返す勇気ある敗退、2003年フランス隊(アルーノ・クルレー隊長)は2峰と3峰の間から5800mでBP,南稜から40~45°の雪稜、頂上直下は200m~300mがナイフリッジで幾つものピークがあった。ネパール観光省の許可峰は Raksha Urai 6593mは経緯度がN29 57 E81 07でダウラガリ峰を指している間違いが・・・。 AAJ VOL.44 2002. 同時期にドイツチームがラクシャ・ウライのUKチームの後を追ったが敗退した。 彼らが3峰としているが、1峰で報告でも6650mはあった。フランス隊も6600以上 標高があった。 プラン/シミコット街道のヤリ村から南西に南下したボクたちはチ、チマ・ラに立ち、 北の岩峰チマラ5632m N30 06 18 E81 11 45から南西に19Km~20Kmに見える 右からラクシャ・ウライ2峰、真中1峰、3峰の北面 (写真:GJ) シドニー・ウイグノールの書いたインド測量局1インチ1マイル地図に同定の書き込み をした。彼のプランでの中共軍に逮捕されて開放後のウライ・ラグナ(峠)逃避行の すさましい報告、永年スパイだったことを隠していたのだった。同登山報告は Sydney Wignall"Prisonerin Red Tibet"London,1955. で、サイパル・カルカから南を見た ラクシャ・ウライの3峰の北壁を英文報告書だけに載せた。 その岩峰チマラから真北を観るとナムナニ峰、国境のナラカンカールハイェスト6422mと西の チベット側にある6613mがナムナニの西北、グナラ峰のすぐ右に見えた。解禁峰のティル・ カン6369mは手前のドーム型のカン・ドゥンブ6219mの右端にチョコンと顔を出し、その間に 遠くタプクヒマールの6395mの解禁峰が見えて、同じ山でありながらショルダー・ピークに なっている6500mは見えない。その奥のナラカンカールも同ピークの影に隠れていた。 DD5とディディゴ(1)へのプレゼント: Area by CHAUGANPHAYA=LORE CHULI ↓ サイパル峰7031m ↑ こいつがLore Kholaの源頭にあるLore Chuli 6246m N30 05 40 E81 55 15 ハイキャンプをひとつ出して(黒い岩稜のハンギングの下)、ダブルアックスで一気 に登る。これ登れないようだったら西北ネパールのお山は登れませんよ! しっかりこの冬、トレーニングに励み実力をつけてください。 真中の赤いルートなどいかが・・・?ド真中などいいルートですね。 アラキオ・マウントクック 3754m (春日井のmitsueさんからの写真) クライストチャーチで直下型の地震により大被害が出たニュース、 研修中の学生さんたちに・・、大きな不幸にならないように祈る。 ところで、metsueさん『数年前、頂上雪庇の大崩落で標高は・・』 10m低くなったの知ってました? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/02/24 06:43:29 AM
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