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カテゴリ:HUMLA 2010 Spring
フムラ・カルナリ川のヤリ村付近の工事中の道路は
ボクたちの二度目のフムラの登山と山旅は2000年6月。シミコット空港に降り立ち、約2ヶ月チャンディヒマールやナラカンカール登山を愉しんで、ここヤリ村へ下って来たのは7月下旬だった。三度目の今回は半月ほど早い、2010年5月15日ヤリ村へとやってきた。10年ひと昔、その通りで国境のヒルサからの自動車道路工事はネパール新地図でも表記してある通り、いたる所で工事は進んでいた。まだ機械化は全くされておらず、ヒルサからナラ・ラグナ(ナラ・バンジャン)手前まで小型のキャタピラーのユンボー(パワーシャベル)が一台稼動中のみで、あとは手作業である。 上写真の左が工事中の自動車道路で尾根の向こうがプラノ・ヤリ村(旧ヤリ村)で 下写真がそのUPで川向こうに対岸の上ヤリ村(シッヴシッブ・コーラ対岸)でグンバ・ ヤリ村の学校校庭から。ヤリ村はその三つの村からなる。 上写真の屋根はこの家で、以前食糧を買ったところ。現在の小学校はマオバティの襲撃で壊されていたポリスステーションの広場に建設されていて・・。この家の親父がキャンプ地の使用料を払えと言ってサーダーのディビとパンカがモメたお家(うち)でした。マオバティの暗躍とお金をせびるやり方、何でもお金の時代到来・・・、極西北ネパールの人びとの心は全く変わってしまった。それにチベット近代化のおかげもあって(ヒルサの中国側の道路は完全高速道路がプランとカイラースのダルチェンへ2時間弱で行けるようになったらしい)、物と酒と豊富な食糧とお金さえあれば・・・が、いつの間にか人びとは『受容と寛容』をどこかへ忘れてきてしまったようだ。 赤●のところがヤリ村です。 ブリッジ・マップ(Far Western Region 1:250.000, 1989. 1:50.000 HILSA, Nepal Survey Department,2001. そのグンバ・ヤリ村のお家(左)と上が工事道路でその下は以前は灌漑用くり抜き丸太が設置 されてた跡が無残にも全て壊された痕(涙のあと)が・・・。 昨日はメンサーブの大好きな大阪ローカルのTV『ちちんぷいぷい』のパンが手に入り、頂きました。 GKくんとYRちゃんは元気!。GKは歩きだしました。 カトマンズからヤリまでの写真データーが、今のところ行方不明となってて(!)、そいつは多分、カトマンズに戻ったGJかKAWAのプラボトル中に・・・。その照会中、カトマンズから『・・・あった!』とGJからのメールが来ました。来月早々には手元に届き?そうで安心してます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/06/24 12:02:25 PM
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