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カテゴリ:HUMLA 2010 Spring
ジュゼッペ・トゥッチ(1895-1984)博士
トィツチ、ツッチィとイタリア人である博士の名前をカタカナ表記されている東洋文化学者だが、チベット仏教歴史学者でもあり、彼のフィルドワークはどうしても西ネパールやチャンタンを調べていると河口慧海同様この人の文献にひっかかる。特に1954年の秋に調査したネパールガンジからスルケット、ドゥツル、カリコット、チルカ、ナグマ、ジュムラへと道路がだいたい完成して、現在自動車道路できてジュムラにジープやトレックが走る。この道路沿いとダイレクからダイレクトにジュムラへ歩き、夢幻のように栄え、消えたマッラ(マルラ)王朝の歴史を詳しく調べた。その痕跡すら留める事のなかったブリティブィ・マッラ時代のブリティブィ・カンバ(ストーン・ピラー:石碑)がラージャ・マルガ(キングス・ウェー:王の道)沿いにその栄華を今尚残し、そして仏教徒のためにストゥーパ(仏塔)と全ての人びとと動物のためにブァービィ(泉の湧くところに作られた貯水槽)とダーラ(水口を持った導水管)の石造建築物を建てたという調査した。 GIUSEPPE TUCCI“PRELIMINARY REPORT ON TWO SCIENTIFIC EXPEDITIONS IN NEPAL”Roma,1956. (参考文献)長沢和俊『ネパール探検紀行』角川新書、1964. 1962年に英訳された。 ゴラ(馬方)ドライバーはドザムの男で、カッチャルの男たちもドザムコーラの連中だった。 小さい小さい驢馬はゴダといい、日本の動物園にはこんな小さなロバがいるんだ!と見た人がいるだろう。カッチャル2匹分を3頭で計算20キロx2ケx3頭(120キロ)の計算となる。この乾燥地の潅木の陰にサクラ草が咲いていた。 Primula megalocarpa Hara. 上、右の花:霧雨や水が溜まる砂礫地に群生するが、この花はめずらしく乾燥した岩陰げに咲いていた。5センチくらいで、これまで見た中で小さい部類であった。ひげ根は砂地の中に長くのびている。葉にはノコ歯があって内巻きになる。ひとつの花は2センチぐらいで、がくは黒紫で5裂、裂片は丸い線形、色は淡紅色と白いのがある。ネパールヒマラヤではポピュラーな花である。 ヤンシー・ゴンパ(ミンマパ) 詳細は後日に・・・。 その位置は新ネパール地図1:50.000 HILSA Sheet No.3081-14 2001 first edition 『・・・?、ナニ?橋?』 灌漑用水から川を渡る導水管が・・・、見事な手造り工事ですね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/06/29 10:15:53 AM
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