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カテゴリ:HUMLA 2010 Spring
ダウラギリ主峰8167m南壁
たった一回だけ、ルンビニのマーヤーデヴィー寺院を見学して駐車場へ、畑の畦道から巨立するダウラギリ主峰南壁を見たことがあった。とてつもなく大きく見えて、それからブトワルへと出た。このブトワルは慧海日記に出てくる。 1900年三月十三日(西蔵暦二月十四日) ツァーランを出て前日カリガンダキのツク(チックサン)に到着、翌朝の・・九時出立して西南に向かふ。出立前ギャルチン博士(モンゴルの学僧シェーラプ・ギャルツァン、ツァーラン滞在中チベット仏教、チベット語文法、修辞学を学ぶ)来寓しぬ。彼はバートリンに商業のために往きし返るさの道なりと云う。・・・(略) に出て来るように100年前はまだポカラはそんなに大きな街ではなくて、カリダンダキ川を下り、ルンビニ、バイラワなどインド国境の近くのバートリン(Butwal)へムスタンやジョムソム周辺の『塩・羊毛・毛皮の交易に』チベット、タカリの人たちは出かけていた。バイラワ(Siddhartha Nagar)、国境のスノウリ(Paranagar)などタライ独特の別名がある。 写真はミャグディ・マータ6273m南東尾根の5000m付近からのダウラギリ主峰南壁。 ネパールガンジ=カトマンズの定期空路からの遠望と:チャーターフライトの上空から東壁を正面に、左の壁が南壁で、(AAJVol.39 1997)1999年10/25~11/3(VI5.10d A0 M7+,ca.4000m)ソロクライムをしたトーマス・ハーマ(2009/11ランタンリルン東壁で遭難死:http://www.youtube.com/watch?v=yAdhmK2h5BI)真中が東壁(故アレックス・マッキンタイヤーらの)右がノマールルートの北東稜、その向こうがカモシカ同人(佐々木徳雄隊長)のペア・ルートである。 で、 話はバイラワから何んの変哲もない暑いだけの道路をツッ走る・・・、バイラワから大きなラプチェ川に出る。この川はネパールでは珍しい東から西へタライ平原を約100kmも横断する川でして・・・。 西ネパールのバルディア国立公園 (シェー・ポクスムド、ドルパタン、スクラパト、カプタッドの5国立公園)プラス、このバルディア自然公園は野生の虎がいるので有名、ネパールガンジから車で4・50分、リキシャならチト遠いかもね) ここからふたつ峠を越えて、約1時間半のドライブでスルケットに着いた。 ここもビラトナガール(Birendranagar)と地図表記されている地図案内が多いが、スルケットと呼ぶのが一般的で、空港前のホテルに宿泊することにした。(殆どネパール人用のビジネスホテル)部屋はひとつしか空いておらず、I沢はベランダで、ボクはホテル前のコンクリートにテントを張った。ダルバートの食事はできるし、シャワー(水だけど)・トイレも完備、シミコット・フライトのスルケット発は月、水、金でデイリーフライトはネパールガンジだが、ここは2352mで快適に熟睡!。 ネパールガンジの空港前のロッジは・・・、最近のオオサカガンジより10度はプラスする猛暑を覚悟せねばならないですよ。フライト日は季節によって異なるので要注意! 夜明けと月 薄暗い4時前にはホテル前が騒がしくなり、にわか野菜売りのリヤカー売店が開店、ネパール人は朝が早くて・・・人びとが集まってきた。おばさんも商売熱心で・・・必死のパッチで長大なサヤエンドウを・・・『エク・キロ?』『ティンセ・パチャース!』の声が飛び交う。 スルケット・エヤーポートはネパール空軍との共用で、2000年に空港建物が完成した。建築中に、その中にテントを張ったり、階段手前の広場にも・・・。機内預けの荷物があるので、イエティ航空の職員が6時前に『みなさんお越しください』とホテルへ呼びに来てくれる。優先的に隊荷を全て開けてチェツクするが、ネパールガンジとは雲泥の差で簡単であった。黒いのは水道菅パイプで、どんどん空路、運ばれていた。空港へはホテルから歩いて10分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/07/09 12:55:34 PM
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