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■ 〈図説〉アインシュタイン大全 世紀の天才の思想と人生 (1)光の物質としての性質と、波としての性質は、光子とエーテルの、二つの物質により生み出される。 光には、波としての性質と、物質としての性質があります。 これを説明するのに、多くの科学者は、仮説を立てる事すらできない状況にあるのではないでしょうか? この様な中、私は、光の持つ二つの性質に対して、一つの仮説をたてました。 それは、「光の持つ、二つの性質は、それぞれ、別々な物質の運動によって引き起こされる。」と言うものです。 別々な物質とは、光子と、エーテルを意味します。 この、光子が物質である事は、言うまでも無いと思いますが、これが、エーテルの海を通過する時、エーテルが波打っているのではないか。 つまり、光の物質としての性質が光子によってもたらされ、光の波としての性質が、エーテルによってもたらされているのではないか、と言う事なのです。 この様に、考えれば、光の二つの性質は、簡単に説明できると思います。 また、「エーテルの風」の実験が、何度となく、世界中で行われたと思いますが、そもそも、エーテルの風など吹かないと思います。 例えば、実験で、観察地点や、光源を、光速に近い速度で、回転させたとしても、時間が縮まりますので、影響は無いと思います。 つまり、光子に、回転時の、スピンはかからないのではないかと考えられる訳です。 光は、物か、波かの二者択一ではないのです。 光は、光子と、エーテルの、二つのものから成り立っているのです。 ■ 【タイムトラベル】相対性理論とは?子供でも理解できる解説! 速度を増せば、重力が大きくなると言う事は、エーテルが重力を生み出しているのかも知れませんね。 つまり、エーテルの抵抗? (2)エーテルの性質。 もし、エーテルが存在するならば、エーテルは、この宇宙に、均一に存在するのか、あるいは、濃度や、バラツキがあるのか、また、他の物質に変化するのか、そんな問題が出て来ます。 それは、現時点では分かりません。 しかし、光の性質から、少なくとも、次の様な仮説が立てられます。 光が通過できるのは、空間や、水などの流動性がある物質、あるいは、ガラスの様な個体や、薄い物質などですが、光が通過できない物質の方が、圧倒的に多いと言う事です。 この事から、エーテルは空間に多く、物質内部には少ない可能性がある と言う事です。 もしくは、均一にあるものの、物質内部では、活動が抑えられ、振動しにくい状態となつていると言う事も考えられます。 私達は、日常の中で、光の性質を、常に体験しております。 例えば、海や、湖に光がさす場合、光が弱ければ、浅い所にしか、光は届かず、光が強ければ、それより、深い地点まで届きます。 これは、光の強さばかりでなく、水が深くなれば、それだけ密度が増す事も、関係あると思いますが、光が強ければ、例えば、レーザー光線の様なものであれば、より、深く、光は届くのではないかと思われます。 従って、光を強くすれば、物体を通過する事も出来るのではないかと思うのですが、その場合、エーテルの振動が激しくなり、物体を溶かす程の振動エネルギーを発生させる事になります。 レーザー光線で、鉄を切ったり出来るのは、エーテルの振動の為ではないでしょうか。 これは、光子の到達する地点を、出来るだけ同一地点に集中する事により、エーテルの振動を、集中させ、その振動で、物体の構造を崩壊させている為と思われます。 さて、私の様な素人が、アインシュタインに逆らって、この様な理論を述べる事自体、無謀な事かも知れません。 本当に、勇気がいる事なのです。 お前は、物理の基礎を知らない、と言わてるかも知れませんが、この中に、何か新しい考えが含まれていないか、そう思って、この論文を書いた次第です。 ■ 未来を創る科学者達 (68) 仮説=すべての物質は超伝導体になる!! (3)エーテルが均一に、存在する場合。(エーテルが唯一の実在?) 今述べて来た宇宙論は、安全な、一般的な物理学と言うものに関するものですが、ホログラフィック宇宙論と言うのが有る様です。 これに関しても、幾つかの理論があるのですが、宇宙の全ては、立体映像であり、それも、脳が生み出した立体映像であると言う理論もあります。 これは、単純に、地球に対しての宇宙と言う意味だと思いますが、これとは別に、我々自身も宇宙の一部、さらには、我々の認識の全てが宇宙と考えると、脳も、人間の認識によって生み出されたものなので、脳は、「脳と言う、立体映像」と言う事になります。 となると、脳が立体映像を産み出す事は、困難となります。 なぜならば、脳そのものが虚像だからです。 所で、エーテルが、均一に、固定され、その振動のみが、物質によって制御されている場合は、エーテルは、我々が使っているコンピュータのディスプレー画面に相当するもの、と解釈できるのかも知れません。 つまり、エーテルが、唯一の実体であり、そこに映し出されるのは、宇宙と言う立体映像であり、人生と言う虚像と言う事になります。 つまり、科学的立場が違うと、全く、逆の物理学になってしまう可能性があるのです。 丁度、古典的な、観念論と、唯物論の対立によく似ていますね。 もしかしたら、我々の人生も、コンピュータによって生み出されたものであり、別の生命体が、あるいは、魂が、人生を体験する為に、その登場人物になりきって楽しんでいるのかも知れないのです。 つまり、コンピュータ・ゲームの進化形みたいなものと解釈出来ます。 寝ている時は、それが夢であるとは、中々、気付きませんよね。 最近、ネットなどで、テレポートや、タイムトラベルの話題が、よく出て来ます。 我々の世界が虚像であるとすれば、テレポートなんかも、映像を映し出すだけの事なので、簡単に実現できる訳です。 ■ 禁断のテレポーテーション実験とホログラフィック宇宙論 MUTube 2015年11月号 #2 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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