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テーマ:政治について(19913)
カテゴリ:日本国政
橋本元首相が死去、行財政改革など中央省庁再編に道筋
96年1月から98年7月まで約2年半、首相を務めた橋本龍太郎氏(68)が1日午後、東京都新宿区の国際医療センターで死去した。告別式の日取りなどは未定。 橋本氏は、厚相などを務めた父龍伍氏の死去に伴い、年衆院旧岡山2区から出馬。26歳で初当選した。当選回数は計14回。党幹事長、蔵相、通産相などを歴任した後、95年の自民党総裁選で小泉純一郎氏(現首相)を破って党総裁となり、96年1月、自民、社会、さきがけ3党連立政権下で、村山首相から後を引き継ぎ、第82代首相に就任した。 首相在任中は、行政や財政、金融など「6大改革」を掲げ、中央省庁を現行の1府12省庁に再編する案をまとめた。外交面では当時のクリントン米政権との間で米軍普天間飛行場の返還で合意し、ロシアのエリツィン大統領(当時)とは、2000年までの平和条約締結に全力を尽くすとした「クラスノヤルスク合意」を結んだ。 しかし、97年後半の金融不安もあり、「橋本6大改革」は道半ばで暗礁に乗り上げた。その後98年7月の参院選で自民党が大敗した責任を取って首相を辞任した。 日本歯科医師連盟からの1億円献金隠し事件を受け、2004年7月に自民党橋本派会長を辞任。昨年8月の「郵政解散」後、9月の総選挙に出馬せず政界を引退した。今年6月に入ってから、大腸の大部分を切除するなどの手術を受けていた。 橋本元首相死去:「悲しみの念を禁じ得ない」…首相が談話 小泉首相、羽田空港から橋本氏自宅を弔問 小泉純一郎首相は1日夕、カナダ、米国訪問を終え、羽田着の政府専用機で帰国した。この後、直ちに東京・南麻布の橋本龍太郎元首相の自宅を弔問に訪れた。 「『変革と創造』の理念の下、中央省庁再編や金融システム安定化などに尽力した。沖縄問題を含む日米関係の再構築を進め、京都議定書の採択など地球規模の問題にも卓越したリーダーシップを発揮した。優れた指導者の訃報(ふほう)に接し、悲しみの念を禁じえない」との談話を発表した。 巨星堕ちる 引退しても橋本派総帥 その影響力は絶大だった。 派閥が生んだ最後の有力首相 ★ 政治全般 ★ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年07月02日 00時24分26秒
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