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恐竜境に果てぬ序章第3節その4前編


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恐竜境に果てぬ第1章第1節その1


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恐竜境に果てぬ第1章第2節その1


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恐竜境に果てぬ第1章第3節その1


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カテゴリ

2024.01.13
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カテゴリ:怪談
「夜行列車にて」より「幽霊が経営する旅館」物語の矛盾点をつく
                                 2023/01/11開始

もちろん怪談は幾つかの趣味ジャンルのうちでも、かなりの興味を以て続けているものであり、見聞きして知っている怪談の知識量や趣味としての歴史の長さで言うと、最多、最長と言えるかも知れない。

なお、私は世代的に雑誌『ムー』でこの趣味に入ったものではない。
どこから興味を持ったかでいうと、『四谷怪談』を初めとする創作怪談に戦慄し、その独特の恐ろしさに魅了されたものだ。しかし、創作だから作り話で、現実性はないということにはならなかった。

人の命は尊いものであり、それゆえ尊重せねばならないものだというのは、理屈抜きに納得した。
幼い頃から夢中になった怪談映画や怪奇談は、実話か創作かにこだわるよりも先に、物語が見せる人の情の凄さが描かれていた。

むしろ創作怪談を通して、亡霊の恐ろしさを身に染みて味わったと言えるかも知れない。
さて、馬齢を重ねてふと気づくと、私のまわりの怪談は、実話を重視する傾向が強くなり、この手の話を披露する怪談師のかたがたなども、実話だと強調したうえで話を始めるのだが、『ムー』編集長・三上丈晴(みかみ・たけはる)氏によると、ほぼ創作ということらしい。

私もそう思う。さらに今や発言や表現に気を遣うご時世らしく、怪談師のかたがたも、実話と断わっておきながら、「知り合いのTさんの経験したことなのですが」と始めるから、正直違和感をぬぐえない。

殊に昨今は「コンプライアンス(compliance)」なるむつかしい英単語が多用され、テレビ画面に出るタレントなどはよく言葉にするようになったが、ごく乱暴に言って「規制」という意味だろうか。いやな言葉である。
昨今、我が日本と日本人の国民性を賞賛するユーチューブ番組が増えて、日本人は「礼儀正しく、規律をよく守り、他人に親切で、慎ましい」などとプラス面ばかりを紹介するが、よほど民族性として偏屈でない限り、おおよそどの国の人々も、「良い人、悪いヤツ」が混在するとみる。

ほんの数十年前まで、事件の被害者の本名・住所などを新聞・週刊誌に掲載するのは常識だったし、加害者についても名前・住所の周知は当たり前だった。
無論ならず者は昔も今もいるから、報道に配慮は必要である。
しかし多くの視聴者・読者は、例えば被害者の居所などを突き止めようとはしない。事件を知って被害者の死を悼み、また無事を知ってホッとすれば良いことである。


現在に至る怪談ブームの先駆となったレジェンド・稲川淳二氏。

またも脱線した。弱年の頃から読書よりも、自ら作文することが圧倒的に好きで、誤りも少なからずあったが、文章修行は読むよりも書くを事として、結果、思い上がりに映ろうとも、全く文章を書かない人よりも筆が立つと自他ともに思えるようになった。だからついつい前書きを書いてしまうが、本題からどんどん遠のいて、未だ未熟である。そろそろ本題に入る。

以前楽天ブログに掲載した怪奇談の中でも、凄みがあると感じた一話、稲川淳二氏の『夜行列車にて』からまとめ直したもので、2016年2月11日アップロードの「夜行列車にて」より「幽霊が経営する旅館」再録に言及する。
先に結論めいたことを書くと、「この怪談はある程度読み込むと、ズサンな筋運びなどから、容易に作り話と見破れる、あるいは怪しむことが出来る」ということだ。

まず、あらすじを書いておく。
オホーツク海の流氷をテーマとした番組の制作のため、稲川淳二氏ほか先発隊を含む複数名のスタッフのうちの二人が網走目指して夜行列車で向かう途中、同じ寝台車で知り合った若いレディたちの怪異体験を聞いて驚くというもので、彼女たちは、元々4人の旅行仲間だったが、過去のある時、残りの二人が北国(あるいは山陰)の旅館で、既に殺害された姉妹の亡霊に出くわして、友達の一人はショック死、何んとか助かった一人は、以後旅行趣味をやめてしまったという話だ。


画像は本文とは関係ありません。

うかつなことに、初め私もこの話に疑問を持たなかった。私は怪異談を頭ごなしには否定しない体質である。まず物語の内容にじっくり関心を向けて聞いたり読んだりする。
この旅館にまつわる怪談も、出来る限り細大もらさぬよう聞き取って、さらに同じ箇所を聞き直し、ようやく文章にまとめる。

稲川氏の怪異談のうちでも、一級の怖さと何やら胸にしみる情趣を覚えさせる内容だった。
今回私はこの話の矛盾点を突くと称して掲載せんとしたが、だからといって私は物語の真偽を徹底して突き止めようとは考えていない。あくまで興味を持ち、特に怪談語りとして有名な稲川淳二氏の功績に敬意を表して臨んでいる。
「こんなの幻覚さ」とバカにするのは容易なれども、そう簡単に言い切れる者は要するにバカ者である。テレビで言えば大嫌いな坂上忍、劇団ひとりなどの完全否定派の愚か者どもである。

肯定・否定いずれも、目下の科学力では、理路整然と説くことは出来ない。否定派の根本には、「幽霊なぞ錯覚かウソ八百に決まってる」との実に愚かで冷酷でさえあるそれこそ根拠無しの思惑だけがある。
「不思議だねえ」くらいの感想を持つことすら出来ないか、そのつもりもないかといっそ哀れでさえある。

もし、こいつらに幽霊を何らかの物理装置でとりあえず見せる方法が見つかったら、それを幻覚とみなす考えに変わりはなくとも、目の当たりにした不気味な何かに対して、かなり取り乱すのではないかと思えて仕方ない。
さてまたも脱線した。ここから改めて、怪談に対しての懐疑点、矛盾点の指摘にかかろうと思う。

私が「待てよ、話の内容にずさんなところがある」と気づいたのは、キーワードめいた言葉で書くと『タクシー』である。
疑問箇所を抜粋すると以下の如く。
☆その旅館は、最寄の駅からタクシーでかなり走ったところにあるが、日本海に面した山の上に建っていた。☆
まず冒頭のこの部分だ。駅までは列車を利用したようだが、旅館までは駅前でタクシーに乗ったとの記述である。




物語の内容から結論を言うと、この旅館は廃業して年月が経っている。建物が解体されたかどうかは述べられていないが、ともかく廃業した旅館である。タクシー運転手は地元に詳しいはずで、駅から乗ろうとする段階で、この時既に運転手は廃屋ではないかとレディたちに告げていても当然だ。この描写がなく、あっけなく行きは無事タクシーで旅館に着いている。これは妙だと思えて当然。

さて、旅行の物語はこの不思議な旅館に於いて進んでゆき、それでも一人が風呂から上がったあと、友達と交代して、町へ出かけている。この時も、旅館を出て坂を下った先にあるガソリンスタンドのところで『タクシー』を呼び、出かけている。もっとも、この時はガソリンスタンドからなので、引っかかることはなくても良い。
さて、町で電話をかけたり本を買ったりしたレディが、ようやく旅館に戻るためタクシーに乗ろうとした時に初めて物語が滞りを見せる。怪談としてはここからエキサイティングになるわけだが、このあたりまで警戒しながら慎重に見聞きして来ると、何んとか「怪しさ」に気づき始める。
さて、怪異談をいきなりドラマチックに盛り上げるラストへと進む。その箇所を抜粋する。




★こうして京子、めぐみ二人とも交代でようやく入浴を済ますことになり、京子はめぐみと交代の時、「お風呂に入っておいでよ、さっぱりするから。その間に私町に出て、二人の家に連絡したり、雑誌とか買ってきてあげる」
と告げて、旅館を出て、坂を下る途中のガソリンスタンドでタクシーを呼び、町に出た。日の長い夏のこととて、京子はついつい町で時間を過ごしてしまった。
タクシーに乗り、旅館の名前と住所を告げると、タクシーの運転手は、怪訝な顔をした。告げられた付近に今、旅館はないはずだと言う。
京子は再度場所を言い、運転手もそれではとタクシーをスタートさせた。
走りながら運転手は、だいぶ前に確かに旅館が一軒あったと言ったが、閉館したと聞いたとも言った。★

以上抜粋。(註 / ここでのレディ二人の名前は私が勝手に仮名で設定した。)
疑問大いなるを抜いてみるなら、以上の箇所で「タクシー」について駅からの行きの時と、町で一通りの用事を済ませたレディが都合三たびタクシーを利用する時の運転手の様子が初めて妙だと思わせる描写となる。

しかもラストのクライマックスに向かって、タクシー運転手までが怪異の体験者に加わり、一気に恐ろしさを感じさせるように思えるが、怪しむことが首尾よく出来てしまうと、ラストの展開は茶番にさえ見えて来る。

ただ、既に書いた通り、私は昔も今も怪談が大好きなので、この「夜行列車」の物語に破綻がみえないようにする描写を考えてもみた。例えば。
列車を降りて駅から旅館へ向かうレディたちは、タクシーではなく、旅館近くのガソリンスタンドまでの直近のバス停を確かめて、路線バスに乗ることにすれば、物語は怪しまれずに済んだかも知れない。




なお、この「夜行列車にて」は、You Tubeで初めて聞いた頃、稲川氏の語った内容そのままと言えるほど、細大もらさず正確に聞き取ったある女性のページを無断コピーして、それから稲川氏の語る『一人称』を言わば三人称に書き換えて、私が短くまとめ直したものである。

最近またこの物語が稲川氏によって語られる動画を見ることが出来るが、あえて批判的に言うなら、彼は「この話、あちこちで引用されているようですが、いかんせん、私の元々の話ではなく、少しずつかえられているんですよ」といかにもオリジナルは己れにありと強調気味だ。
そうして改めて語るのだが、私が参考にさせていただいた女性の話の正確さがわかるというもの。

繰り返しになるが、月刊誌『ムー』現編集長・三上丈晴氏によれば、『実話』と念押しするかのように語られる怪談師の話のすべてかほとんどは「創作」とのこと。
私もそう思う。殊に彼ら彼女らによる怪談はほぼ毎日「実話」と称して語られるが、こんなに実話元ネタに恵まれているはずがない。

さて、あとがきのようになるが、私は怪談が必ず実話なるべしとは思わない。巷間伝わっている実話怪談が、いくらかの脚色を施されているとしても、元の出来事などには、真実が存在しているものもあると言えるはずだ。
実は創作がほとんどの物語だとしても、極端にみれば、怪談は人間同士の生活の中から現われて来るもので、人情とよく言うように、人と人との関わり合いの中から共感、嫉妬、確執、憎悪などの感情が起こり、さらに怨念、未練、妄執へと発展し、人はその生活の中で、気配を感じ、夢枕に立つ何者かを見て、いよいよ目覚めた状態でさえ、見えざるべき何かを見ることとなり、声も聞く。

創作らしき怪談を無理に信じる必要もないが、あまたの怪談話の中にはあるいは実話が世代を経ても語りつがれるものもある。私が弱年の頃の実話怪談は数えるほどの何話かが有名になっていたが、その物語には地名・人名がほぼ必ず記されていた。乱暴なようだが、実話であることを強調したいのなら、実名を告げるべしと思う。せめて県名くらいは明かすべきではないか。






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最終更新日  2024.01.26 06:14:00
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