夕子の伯母と私の母、口論応酬ダイジェスト
夕子の伯母を名乗る年配女が訪ねて来た。当然この時の模様は、夕子の手帳に記録されてないと言いたいところだが、彼女は気遣った母が早速知らせたことから、伯母の来訪のおおよそを書きつづって残してある。母の優に優しい言葉に彼女は泣いたと、記録してある。もちろん伯母との口論の時点で彼女はこの場にいるはずもない。また、私は母の隣りにあぐらをかいて、口論に参加していたが、自ら意見を言うまいとの態度を通そうとした。母が私のカッとなる性格を知って、余り感情的にならぬよう、あらかじめ言い聞かせていた。ただ、じっくり穏やかな口調でじわじわ相手を押してゆく母の弱点は、相手が語気を荒げて、怒鳴ったりすると、その剣幕に押されうんざりして、論破せんとする気力がくじかれる点だった。このことについて、母の実母である祖母は、相手の剣幕にひるむことは余りなかった。明治女の気丈さがあった。横道にそれるが、私が小学5,6年のころ、こんなことがあった。なお、祖父が胃がんで余命いくばくもないある日、父を枕元に呼んで言った。「この先、つれあいのこと、ぜひよろしくお願いします」祖父は昭和33年1月6日夜から容態が悪化し、大量吐血のあと、往診の医師や祖母・母に看取られて息を引き取った。大げさな話を連想することになるが、豊臣秀吉晩年に、徳川家康初めとする五大老に遺言書を託し、実子・秀頼の行く末につき、「秀頼ごと、頼み申し候」なる箇所を含む文章を残しているが、ほどなく大坂の陣が始まることは歴史の必然である。父も、御殿場の自衛隊官舎に落ち着くと、祖母を目の上のこぶと疎んじ始めた。話を小学5,6年のある夜に戻す。私は寝るのか寝ないのか、ぐずぐずして祖母が布団を敷くタイミングをはっきりさせずに困らせていた。虫の居所が悪かったのか、既に自分の布団に横になっていた父が「おばあちゃん、さっさと布団を敷きなさい」と強く難じた。これは私も悪いし、父も状況を見ずに感情的に祖母を難じたのは間違っていた。祖母は、ツツッと父の寝床に寄って、軽い啖呵を切り始めた。冬の朝は祖母が誰よりも一番に起きて、掘りごたつに火をおこして、家族が起きるころには、暖を充分とれるようにし、一日中母の家事を助けて、働き続けていた。祖母「博さん(父の名)、あなたはこの家(や)の主人ですよね」父「当たり前だ(実に攻撃的響きである)」祖母「ひとこと言わせてもらいますが、私はしろちゃん(ひろちゃんの横浜なまり)が、布団に入るのかどうか、わからないというので、待っていたんです。私に何か非があると言うのですか ? 」ここで父は半身ガバと起きるなり「おばあちゃん、あした、早速、横浜へ行って来なさい ! 」これ以上の話し合いは無理で、父の逆上は時間の問題である。祖母は引き下がって、おとなしく布団を敷き始めた。追い討ちをかけるように、父は「それだけの元気があるなら大丈夫だ」祖母も負けておらず、「大きなお世話だ」この時すかさず母が「おばあちゃん ! 」といさめるように言った。口論はもっと長かったろうが、このくだりしか私は覚えていない。翌朝、私が起きるころには、祖母の姿はなかった。横浜には祖母の実の妹がいて、しばらくのあいだ逗留するに居心地は悪くなかった。後年、母の懇願を受けて、二度父をアパートへ追放した理由の一つに、この時の祖母の立場を思い出し、かたき討ちをしてやろうとの気持ちがある。そして、母も実母を抱えながら、絶えず板ばさみの苦労に悩まされたと察する。さて、話を昭和60年ごろの、夕子の伯母との論戦直前の場面に戻す。母「まず初めにおうかがいしたいのですが、今日、姪御さんの実の親御さんが直接いらっしゃらなかったのはなぜですか ? お嬢さんを案じるならば、ご両親がみえるのが筋かと存じましたが・・」伯母「いきなり両親が来るより、私がとりあえずうかがったほうが、話がケンカ腰にならないのではないかと思ったんですよ」母「では、あなたのおっしゃることが、そのままご両親の意見ととって、間違いありませんか ? 」伯母「そう切り口上に言われても困りますね」母「失礼ですが、切り口上はあなたではないですか。拙宅を訪問したと思ったら、いきなりこの子とお嬢さんの非難をまくしたてましたが・・」伯母「だってそうでしょう ! 夕子は所帯を持つ身であるにもかかわらず、そこの息子さんと、こそこそ会っているでしょう。お宅に言い分があるとは図々しいんじゃないですか ! 」母「声を荒げないでいただけますか。私はケンカをするつもりはありませんよ」ここで私はひとこと言い放った。私「あのね、お袋と同じくらい静かに話せないかと言ってるの。あんた、今、怒鳴ったよ。怒鳴るなら俺も倍にして返すよ」伯母「そういうお宅は、後ろめたいと思わないの ? 」母「ひろちゃん、少しくらいなら話してもいいわよ」私「今、あんた、後ろめたくないかと言ったね。今回のことはね、夕子さんからの連絡に始まったことでね。しかも、ご亭主もこのことは彼女から聞いて承知してますよ。あんた、どこまで詳しいいきさつを聞いてるのかね」母「そうですよ。夕子さんは清潔な人ですし、この子と会っての話も、全部ご主人に伝えてありますよ。二人がいつ会うか、どんな話をしたかは、私もご主人も知っているのですよ。こういう話はご両親に伝わっていますか ? 」伯母「初耳です。夕子から父親、そして私という順に簡単な話は聞いたけど」母「あなたが初耳なら、ご両親も詳しくはご存じないんじゃないですか ? 私はそこが肝心だと思いますよ。失礼ながら、夕子さんが新婚生活で悩んで、あげくに私どもに連絡して来ました。この子はまんざら夕子さんを知らないわけではないから、相談に乗っただけのことです。ご夫婦の仲をどうこうしようという気持ちは微塵もありません」伯母「では私たちはどうすればいいんですか ? 」母「それこそ、あなたがた親族と若いご夫婦の問題でしょう ? 本来、私どもがでしゃばる性質のものではありません。夕子さんご夫婦の問題を、私どもが受けるよりも、あなたがたが直接話し合うのが筋だと思いますよ」伯母「だけど、夕子はそちらの息子さんに会って話を持ちかけたんでしょ。そこが納得出来ないのですよ」母「夕子さんのたっての希望ということで、この子は一度は縁の切れたはずの彼女の話を聞いたのです」伯母「どうも怪しいわねえ。それで何回も会って、話だけしたって言うのですかね。二人のあいだに、何かがあったとしか思えないけど」母「ちょっと待って下さい。私はこの子の母親として、今の言葉は聞き捨てなりません。あなたは今初耳と言いましたよね。ろくに詳しいことも知らないのに、この子の行動を勘ぐるとは、私も黙っていられませんよ。事実がどうなのか、はっきりさせて下さい。さあ、電話するなら構いませんからどうぞ」年配女はしばらく黙ってしまった。やがて口を開いた。伯母「あなたは夕子に会うなと言えなかったのですか ? 」母「それはどういう意味ですか ? 」伯母「今言った通りですよ」母「私どもが夕子さんの悩みを聞いてあげられないと言ったら、彼女は相談する人がいなかったのですよ。彼女がいくら所帯を持ってると言っても、余程の事情があったからこそ、私どもを頼って来たんだと思いますよ。彼女一人で苦しむのを見捨てることが最良の策だと言うつもりですか ? 」またも年配女は黙った。・・・・・・・・・・伯母「今日のところは失礼します。ただし、今後息子さんには夕子に会わないで欲しいですね」私「あのねおばさん、多分知ってると思うけど、夕子さんは、母親とは話し合いたくないって言ってましたよ。僕はね、彼女が孤立するのが気の毒だから、こそこそ会うのではなく、彼女からご主人に伝えたうえで話を聞いて来たんだよ。また今度、彼女から連絡があったら、おばさんが会うなと言うから会わないって突っぱねればいいの ? 」伯母「わかりました。夕子の母親に話しておきます。後日、両親のどちらかから電話があるかも知れませんが、その時、息子さんが出て下さい」私「じゃあ、そのことも、彼女に隠すことなく、連絡しておきますが、いいですよね ? 」伯母「まあ、・・それは任せます」年配女はほとんどあいさつもせず、立ち去った。夕子の伯母が去ったあと、母は言った。母「ひろちゃんね、一つ覚悟しといて欲しいことを言うね。今までお母さんもあんたも、夕子ちゃんの味方になってやったけど、今後、特に夕子ちゃんとあんたの仲は、ご主人とはまた別のムードで、冷えてしまうかも知れないよ。あんたは今はまだ夕子ちゃんとの結束が固いと思うかも知れないけど、夕子ちゃんの気持ちが身内寄りになるっていうことでもなくてね、あんたとの仲が深くなったわけでもないし、接近する気持ちになったわけでもないから、そこのところは不愉快でも我慢するのがいいよ。何よりあんたには災難だったんだからね、何もやましいところはないし、責任を感じる必要もないのよ」母のアドバイスは的中することとなる。