2014年、宗教・霊魂の話、雑談
夕子「もしもし」村松「あ、今晩は。待ってました」夕子「あの、何んか、町内会のことが一段落(いちだんらく)したら、教会へ行くって予定聞いたけど・・」村松「ただし、断言しとくけど、俺は無神論者だし、それを貫く信念だよ」夕子「送ってくれたパンフレットのコピー読んだけど、確かに時代を先取りする科学理論を導入して説いたあたりは、詳細を極めて、なるほどと思うけど、『地上の楽園』だとか、人によっては『天国の楽園』で暮らすなんてなると、ついていけないわね」村松「家(うち)はね、祖父母の頃まではともかく、仏教でさえ信心の心を持つことの出来ない家系のようだよ。お袋の徹底ぶりは難攻不落の要塞のように堅固だった。『死んだら無になる』って信念だったしね、『死んでまで意識があるなんて、ご免こうむりたいわよ』って、鉄壁の考えだった」夕子「あなた自身も、霊魂懐疑に傾いて来たって・・」村松「人間の意識は、すべて脳の中にあって、これが生きているあいだの、様々な仮説をもたらしたのではないかって思えて来た。だって、お前さん自身、自分が存在している意識は、心臓でも手足でもなくて、頭の中のどこかに感じているだろ」夕子「ええ、あたしはそう思う。でもあなた、お母さんの夢、ほとんど見られないのは残念って言ってたわね。お兄さんの時は、毎日のように夢に見たって聞いたけど・・」村松「当時の日記に書けるだけ書いた。でもね、平成7 ,8 , 9 年に集中していて、その後はたまにしか見なくなった。今は見たくても見られないお袋の夢を切望するばかり」夕子「あたしもあなたと同じか似た考えだけど、お母さんの49日の法要はきちんと済ませたわね」村松「うん。寺の坊主の言う通りにして、49日より一日早い48日目、今年の1月8日に済ませた。だけど、俺は仏教の信者には必ずならない」夕子「あたし、仏教もキリスト教もわからないけど、あなた、神を敬う必要ないって考えよね。なぜ ? 」村松「宇宙の大いなる意志の存在はあるかも知れないと思ってる。これが教会へ行こうかと思う動機。だけど、創造主を尊敬するべきだという考えが理解できない」夕子「新しい冊子をもらって読んだって聞いたけど、その話、あなたの考えを交えて聞かせてくれる ? 」村松「光子(こうし)つまり光は、素粒子として存在するにもかかわらず、質量、乱暴に言うと、重さゼロというのを知って、まず疑問を持った。俺は全く知識がない頃は、物には必ず重さがあると思ってた。私の進化論懐疑の漠たる考えを、理路整然とまとめて著わしてくれた南山宏氏の一書。超常現象の類いには食指が動かないが、こういう本はためらわず手に取る。でね、うろ覚えだから、違ってるかも知れないけど、聖書だったか、『神は光である』って読んだ覚えがあって、それと、量子論を結びつけて、光子には魔的な性質があることを考えて、大宇宙をつかさどっているおおもとは、重さのない光子の意志が原因していると推測した。だから、光子を大いなる意志の元と考えたとしても、なぜ畏敬の念を持たなければならないのか、納得できない。これも一つの物理現象と割り切るなら話は別だけどね」夕子「あたしの考えとだいたい同じね」村松「だって、このヒントはお前さんが教えてくれたんだもの」夕子「あ、量子論ね。でさ、その冊子にはどんな教えが書いてあるの ? 」村松「斜め読みだから、正確じゃないけど、神は本来、アダムとイブを作った時は、不老不死として完成させたけど、二人が決まりを破ったから、ばつを与えて、生老病死の存在にしたっていう、例のお決まりの教え。このくだり読むと、もうついて行けない。二人が教えに背いたなら、それは創る時の造物主の失敗だったと主張しないのが、信者に共通の考えだから、納得出来ないね」夕子「それでもかよう予定なのね」村松「うん、今のところね。ただ俺には反論があるから、かようのも終わりになる時が来ると思うね。だって、その宗教ではね、裁きの日以降、何んて言うか、合格した人間は、その日から不老不死の本来の姿に戻って、成人に達してからは、永遠に楽園で生き続けるって言うけど、車には乗るだろ。買い物に出かけるだろうし。で、交通事故もあるよね。その時の衝撃でケガをするのは確かだし、それが不老不死だから死ななくても、ケガによっては、感染症になるおそれもあるよね。それでも死なないどころか、治るってのが納得行かない」夕子「そうよね。むしろ疑問だらけよね」村松「俺が興味を持ったのは、『亡くなった人にまた会えますか』ってパンフレットに、『会えます』って書いてあったからだけどね、この宗教は、ほかのことも言ってるんだ。『人間は死ぬと存在しなくなる』って。もうこれでお手上げ」夕子「何んか、旧来のキリスト教の変形みたいね。どういう意味のこと、言いたいんだろう・・」村松「わからないよねぇ。俺の反論は固いよ。なぜ創造の神を敬い、教えの通りに生きなければならないのかってこと。変な話だけど、コブラ仮面のような悪党がいて、それを退治する七色仮面がいるから、子供は楽しめるし、年齢を重ねると、懐かしさという感情がわくものだろ。それには年をとらなければならない。俺が七色仮面見たのが、テレビ電波の都合で、昭和35年以降だから、7歳として、それで教義の通りだと、20歳くらいで懐かしむなら、わずか13年前だろ。何十年も前を懐かしむのとは異なるだろ」夕子「婚活なんて言葉が出来たくらいだから、結婚したくても出来ない人もいるわよね。それがみんな結婚出来るようになるの ? 」村松「詳しく読んでないけど、多分キリスト教の言う理想通り、必ずベスト・カップルが出来て結婚して子供が生まれるみたい。けどね、その子供が成人すると、不老不死になるから、親子の年齢差がなくなるってことだろ。例えば親も20代、子も20代で、家庭が営まれるってのは妙だね」夕子「大宇宙にも、あちこちに星なんかの誕生と終末があるわよね。それこそが、生物、特に人の生と死を示唆してるんじゃないかって思うけど」村松「あ、それいい解釈だね。宇宙の星そのものが寿命を持つなら、そこに生まれる人間もその物理法則に従ってるはずだっていうわけだろ」夕子「ところで話題変えて悪いけど、あの昭和の最後の年の北海道ツーリングで、帰途、東北地方で見た恐ろしいものだけは、あたし否定しきれないんだけど・・。ブログではあなた得意の描写で・・」村松「あれね、学研発行のその手の本の一節を丸写ししただけ。だって、お前さんの話からは、顔かたちがつかめなかったもの。でも、確かに俺のバイクの後部シートにいたって言ったよね」夕子「あたし、疲れ切ってるとこへ、現地で夏風邪引いて、薬飲んだから、なおさら眠くなったのよ。でも、すっかり暗くなった夜でもバイクにまたがっていたから、あんなつらいことはなかった」村松「俺はお前さんの利発な頭脳を疑いたくないから、何かを見たのは否定しきれないけど、モーテルに着いたとたん、ベッドにバタンキューだったよね。あの夜は風が強くて、俺の目にはスーパーかコンビニのレジ袋じゃなくて、衣料品店の大きな袋に見えた気もする。それが風でサーッとこっちへ飛んで来て、俺の背中あたりをかすめて行った。お前さんが見たのは袋が俺の背中に貼りつくように風に舞った瞬間ってのは、考えられない ? 」夕子「うーん、どうかなぁ。あたしには人の姿に見えたけど・・。だって、黒い部分と白い部分が上が黒、下が白って、つまり髪の長い人に見えたけど・・」村松「そうかぁ・・。心霊現象そのものは、あるのかなぁ。不謹慎かも知れないけど、東北の震災のあと、津波などで犠牲になった人の幽霊を見たって話もあったからなぁ・・」夕子「別の解釈が必要かしらね」村松「一つ、最近のことを話しとくとね、何日か前、例によって、スカパーのドラマをイヤホーンつけて見てたらね、寝室のドアの近くで、ノックする音がしたんだよ」夕子「ええっ ! それで ? 」村松「家(うち)は、外の音がうるさいくらいに聞こえるとも言ったろ。けど、あの時はどうも外の音には聞こえなかった。ただ、イヤホーンしたままだから、ハッキリ聞こえなかったけど、どうやら寝室のドアか教室のドアをノックしているようだった。目はあいていたし、金縛りもない。俺は何者か強盗の類いが入って来るかとじっと待った。ノックは一回ぶん二、三度たたく連打に聞こえて、それがあいだを少しおいて、三回くらい聞こえた。で、そのあとピタリやんだ。でも、何んだったか、わからない。でも強盗はノックしないよね」夕子「あなたの家の玄関のドアをノックすることは考えられないわね。鉄製の堅いドアだし。インターフォンで終わりよね。ふーん、そんなことがあったんだ・・」村松「まあ、この程度ではインパクトないね。あれで、お袋の声で『ひろちゃん』とでも呼んでくれてたら、だいぶ違ったろうけど・・」話、尽きず、とりあえず了。「編集後記」熱心に布教・伝道活動を行なっているかたがた、本ブログは、大いなる関心を動機に書きましたが、文面上は、疑問・反論の形に脚色してあります。軽視や否定の考えに徹底するものではありません。ご不快に思われたらお許し下さい。