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テーマ:今日行ったコンサート(1209)
カテゴリ:クラシック
すみだトリフォニーホール 15:00~
3階正面 ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」序曲 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調 <ピアノ独奏アンコール> バルトーク:チーク地方の3つのハンガリー民謡 ワーグナー:楽劇「ラインの黄金」~ワルハラへの神々の入城 楽劇「ワルキューレ」~ワルキューレの騎行 楽劇「ジークフリート」~森の囁き 楽劇「神々の黄昏」~自己犠牲と救済の場 ピアノ:ピョートル・アンデルシェフスキ 指揮:クリスティアン・アルミンク 新日フィルの定期演奏会。定期なので足を運ぶ事になります。アルミンクだし。 もっとも、そもそもこのプログラミングってどうなんだ、と言いたくなるような組み立てではあるんですけどね。それでも演奏さえ面白ければいいのですが、うーん… 問題は勿論後半。確かにこういう曲目自体人気があるのは分かります。実際、自分だってそれなりに期待して来ましたし。大体が、こういう曲目で難しいこと考えても仕方ないんだと思うし。 とはいうものの、聞けば聞いたで思う所はある訳で。いや、言っても仕方ないのですが、つまり、物足りないのです。声が無いのが。んなこた最初っから分かってっだろ!と言われれば一言も無いのですが、でも、実際、そう思ってしまったものは、ねぇ? 演奏がとりわけ不満だというわけでも無いのですが、改めてこういう形で聞くと、足りない感があるのです。一つには、こちらが元の声付きを知っている、というのはあると思います。が、やはり、こういう曲目というのは、アンコールピースになってしまうのだと思うのです。 アンコールピースだからいけないとか、手を抜いているとかいうわけではないんです。例えば、「ジークフリート」の「森の囁き」など、オーボエが非常に頑張っていて、いい演奏だったと思うのです。でも、ここは、管弦楽曲「森の囁き」ではなくて、「ジークフリートが鳥の声から色々知る」場面なんですよね。威張って言うわけじゃないけど、それと、管弦楽だけを聞くのとは別の話だろう、と思うわけです。勿論,それを言っちゃあおしまいよ、って話ではあるんですけど。でも、「ブリュンヒルデの自己犠牲」とか、実際に舞台でその場面を見てしまうと、どうしても脳内でブリュンヒルデを補完して聞いてしまうわけです。 所詮、何を言ってみても、ワーグナーだって「オペラ」なんです。そう言うとワーグナーは怒るかも知れないけど、でも、「全夜連続しての完全興行」を熱望していたワーグナーが、声無しの管弦楽曲としての聞かれ方を敢えて望んでいたわけでもないだろうし..... プログラミングが悪いよ、アルミン君。 前半は、「オランダ人」序曲。まぁ、これはまだしも。元々「序曲」という独立性のある音楽だしね。 協奏曲の独奏は、アンデルシェフスキ。元々はルプーの予定だったんだよなぁ...とか思うと、ちょっとほろ苦い。でも、アンデルシェフスキも悪くないだろう(いや実はリサイタルも買ってあるし)と期待したのですが、ちょっと音が硬かったかな。というより、曲がねぇ。ベートーヴェンの1番。悪いとは言わないけれど、あまりピアノとして楽しい曲ではないように思うのですが。特に、こういう大きなホールで、音の固い日本のオーケストラとでは、ちょっと優雅さに欠けますやね。 演奏は悪くないんだろうけど、音楽として、個人的にはアンコールのバルトークの方が好きだな。 というわけで、全体には若干不完全燃焼、特に後に行くほど、という演奏会でした。公平に言えば、全般に出来は悪くない、って言うべきなんでしょうけど。確かに,「こんな感じ?」感で言えば、「オランダ人」が終わった後が一番幸福だったかも。 新日フィルの演奏は、いつもの方向性でしょうか。出来のいい標準的な日本のオケ、ですかね、今日は。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月31日 11時22分12秒
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