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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

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2022年01月30日
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カテゴリ:オペラ
東京文化会館 14:00〜
 5階正面

 レオノーラ:小林厚子
 マンリーコ:笛田博昭
 ルーナ伯爵:須藤慎吾
 アズチェーナ:松原広美
 フェランド:田島達也
 イネス:松浦麗
 藤原歌劇団合唱部
 東京フィルハーモニー交響楽団
 指揮:山下一史
 演出:粟國淳


 都内の新型コロナ感染者数は、金曜が1万6千人、今日土曜が1万7千人だそうで。いくら重症化しにくいとか言ったところで、インフルエンザだって嫌なものなのに、そりゃたまったもんじゃないですよ。
 正直どうしようかとも思ったのですが、まぁ、トロヴァトーレだから、行っておくかと。行った甲斐はあったのか?さぁ、どうでしょう.....

 昔の藤原はダブルキャストで3公演くらいやったものですが、今回はダブルで土日の公演のみ。どこかで来週もう1公演やるみたいですが、まぁ、文化会館ではこの2公演だけ。日曜は別を予定していたので、こちらを買っていたのでした。一般的には、どちらかというと明日のキャストの方が表になるのでしょうか。まぁ、率直に言うと、今の藤原に表も裏もあったもんじゃないというか、さっぱり分からんのですけれどもね。
 客の入りは、満席ではないなぁ、という程度。特に上の方は。一階とかはもっと空いていたのでしょうけれども、結構入ってるようではありました。

 全体的に言うと、まぁ.............まぁ、行って後悔はしなかったよ、というような。いい公演だったか?と言われると、正直に言えば、うーん。

 率直に言うと、それほど大きな期待は抱いていなかったので、まぁ、歌唱陣はこのくらい出来れば、まぁまぁ、というところでしょうか。正直、飛び抜けていいという人はおらず、敢えて言えばアンサンブル、というよりはバランスの勝利、とか最初は思ったのですが、結局は結構出来はばらついてもおり。
 一番前に出ていたのは、アズチェーナでしょうね。そういえば昔々「フィオレンツァ・コッソットのアズチェーナ」のコッソット抜き、というのを聞かされた(?)というのがありましたけれども、アズチェーナが飛ばす飛ばす。特に3幕1場はルーナ伯爵もフェランドも「あれ?君ら居たの?」というくらいに圧倒していて。ただ、いい歌唱か、と言われると、ちょっとね。4幕は最後失速してましたし、なによりちょっと飛ばし過ぎ。他を置いていくのが悪いのではなくて(置いてかれる方がまぁ悪いってことでいいんじゃないかと)、歌唱としてはもうちょっと丁寧にやってもいいとは思います。
 歌唱的にバランスが取れていたのは、そういう意味では、マンリーコでしょうか。ただ、Ah! Si ben mioではいいのだけれども、Di quella piraは繰り返し省略の上途中歌わずに最後はB、そして歌い上げ切れず、という。ただ、まぁ、「本来はここは〜」なんて話は別にして、この人はそもそもそちらで勝負するという人ではないのでしょう。その程度には、Ah! Si ben mioはまぁ歌えていたと。それでマンリーコを受けてはいけないのか、というと、まぁそんなこともないと思うし。それ言い出したらデル・モナコ以外はマンリーコ歌うな、みたいな話になりますからね。
 あとは、まぁ、特筆するほどのことでは。ただ、明らかにこりゃ破綻してるな、ということは、一応なかったと言っていいのじゃないかとは思います。いや、正確に言うと破綻してたんだけれども。
 合唱は、まぁ、弱いよね。要は弱い。
 問題はオーケストラ、というより指揮ですかね。それこそ3幕2場、マンリーコが歌い終わって、レオノーラと婚礼に向かおうとする場面。ここでオルガン、というよりあれはエレクトーンじゃないかというのが入るのですが、なんとここがグダグダ。はっきり言って合ってない。いや、この前後も、そして4幕もそうなのだけれど、合わないんですよ、歌とオケが。
 大体こういうことは起きるものではあって、だから、それを上手く収拾するのが指揮者のお仕事だと思うのですが、まぁ、出来てないよね。あんなにはっきりと事故が見えてしまうのはちょっと。オケではないですね。

 演出。
 あのですね。この際はっきり言いますが、一体粟國淳っていいんですか?正直言って全然ダメだなとおもったのですけれども。
 日本でオペラ見ているとそこそこ付き合わされるのですが、特に藤原は多いのだけれども、今回の演出は正直分からなかった。
 まず、舞台自体が、東京文化会館の間口をわざわざ狭めるように壁で区切ってるんですね。これが何を意図しているのか分からないけれど、あるいはより間口の狭い劇場で使えるようにということなのか。でも、少なくとも、東京文化会館の横方向3分の1くらいは狭めてしまってるんですね。両側に壁を作ることで。こういうことは、例えば、より小さい欧州の地方劇場なんかのプロダクションを持ってきて日本でやる、みたいな時にやることはあります。逆に、何処かと共同制作でやるので、そこを合わせるために、というのもあり得る。でも、別に共同制作とは書いてないんですよね。そして、これが東京文化会館のプロダクションであるなら、やはり東京文化会館の造りに合わせてやるべきなのでは。
 そして、この「箱」は舞台前面まで出て来ている訳ではないので、舞台前面は元の間口でそのまま広がっている訳です。私考えるに、この場合、この舞台前面の部分は使っちゃいけないんですよ。なんでかというと、本来の舞台である「箱」が、この場合、この劇の舞台=世界として機能してしまうので、その前の部分は「本来存在しないもの」なんですね。そこを使うと勝手に異化効果が発現しかねない。だから、不用意に使うべきではないんです。ところが、そこを何も考えずに意味もなく使ってしまうんですね。だから、「壁」が額縁として機能せず、さりとて意味も無く、という、非常に中途半端なものになってしまう。
 その一方で、1幕でバカでっかい月、それもちゃんと兎が見えるそれなりにリアルな月を舞台に出すんですね。これ、舞台に立っている人との対比で言うと、明らかに大きくて、低い。問題は、じゃぁ、その月に意味があるのかというと、少なくとも私には何の為にその月を出したのか、まぁ分からなかった。
 そして、人の動き。特に合唱。これはもうどうしようもなく雑。30年くらい前からなんにも変わってないな、というような動かし方。いや、新国とか見てると、流石にここまで粗雑じゃない動かし方をするので、はっきり言って退化していると思います。
 具体的には、例えば3幕1場の兵士達。この場面はルーナ伯爵の、城攻めの陣営なので、素直にやろうとしたらそれなりに活気があって然るべきなのですね。だけれども、兵士達が、ろくすっぽ兵士らしくない。ただ立っているだけで、歌に沿って歩くだけ。要は、仕事してないんですね。劇として。
 オペラファンを自称する人はよく見落としているのですが、オペラというのはやはり劇なのです。だから、そこにいる人は、必ず意味がなくてはいけない。「意味がない」という意味を与えられるのはありだけれど、つまり、無駄に、雑に、舞台にいてはいけないのです。その意味で、よく言っても凡庸。
 2幕2場のレオノーラ争奪戦のところも同様。伯爵の兵士、マンリーコの兵士、修道女、この三者の動きはまぁありきたりで緊張感がない。要するに「睨み合うー間に入って止めるー」というなんの感情もないト書きを棒読みしているような人の動き。だってそれで意味が通るんだからいいでしょ?とでもいうような。
 キリがないけれど、主要人物の動かし方も。4幕幕切れの場面もあまりに不用意。レオノーラが死に行く、マンリーコが慨嘆する。そこにルーナ伯爵がいつしか現れて事実を知り嘆き怒り、レオノーラが死ぬとマンリーコを死刑に処す。そうですね。そうしないといけないので、レオノーラとマンリーコの愁嘆場に伯爵は現れないといけないですね。その出し方がもう何も考えてないというか、そこにいると都合がいい位置に行かなきゃいけないので行きました、という感じなのです。そしてその前から殆ど何の仕事もしていないアズチェーナ。
 これはね。演出の責任ですよ。こういうことがどれだけ劇としての世界をぶち壊すか。
 演出というのは確かに解釈だのコンセプトだのに目が向きがちだけれど、まず第一にオペラは演劇なのですよ。舞台芸術を名乗る通り。日本という国は平気で「これなら舞台なしの演奏会形式の方が良かった」なんて当たり前に言う人が沢山いる国で、まぁ分からないでもないけれど、そもそもそれならオペラ見るのやめればいいのです。オペラは演劇なんだから。演出のコンセプトや内容がどうとかではなくて、その舞台をどう舞台として成立させるかは演出家としての当たり前品質の大前提の仕事です。それが雑なのは、もう、ね。

 粟國淳は前はもう少しちゃんとした演出していたと思うけれど、ちょっとこれは酷い。この舞台、お客さん面白いと思って帰ったのかね。コロナ禍だから掛けずにさっさと帰ったけれど、そうでなかったらブーイング出してるよこれは。いや、こう言った方がいいかも知れません。「俺の方がきっと上手く出来ると思うぞ」って。やらんけど。誰も頼まないけど。でもこんな雑なの見せられるとそのくらい言いたくなる程度には腹立ちますよ。うん。

 でもねぇ、やっぱりトロヴァトーレはトロヴァトーレなんですよね。やはりこんなもの書けたヴェルディは凄いと思うよ。うん。





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最終更新日  2022年01月30日 02時55分38秒
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Re:1/29 藤原歌劇団「トロヴァトーレ」(01/30)   うたうたい さん
昔、たしか日生でやったフィデリオだと記憶しているのですが。
合唱団の中に演技の出来る人がということで知り合いの演劇人が入っていたのですが、ある場面で、銃を突きつけられる場面があったとのこと。ところが合唱団、誰一人としてそれにリアクションをしなかったようで。舞台に立っていて舞台で起こっている事になんのリアクションもしない。といって不思議に思っていたのを思い出したです。
7,8年前の話ですけれどね。そのころにはすでに、オペラの舞台に立っているのに演技をしない合唱団があったみたい、ということで。 (2022年02月12日 00時33分20秒)

Re[1]:1/29 藤原歌劇団「トロヴァトーレ」(01/30)   Verdiさん さん
うたうたいさんへ
想像力が働かないのでしょうね。舞台に乗るということの意味をそもそも理解していないのかも知れません。まぁ、お客の方も舞台を、オペラのような劇を観るということはどいういうことか理解していない感がありますから、仕方ないのかも知れませんが。 (2022年04月25日 00時12分03秒)


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