毎月やっている瞑想のグループで、いろんな実験をしている。今日は自然の音を使って、それがチャクラやサトル・ボディーにどう影響するかがテーマ。
オーラソーマとかのワークに慣れている新しい参加者の人も交えて、今度の18日の共同ワークショップの打ち合せもかねて片桐ユズルさんも来てくれる。
パソコンとラジカセと二つの音源から、サウンドレゾナンスの新しいCDからの音と、いろいろと集めてみた効果音を同時に鳴らし、自然音と音楽、自然音ダブルなどなどいろいろやってみる。
ヒュイーンという摩訶不思議な音とともにサトルボディの浄化とグランディングがサポートされる下降レゾナンススゥイーブという曲からはじめて、脚を感じる体操、ダンス、骨盤への呼吸、そして海の波の音をかけながら、コーラル(第1チャクラと第2チャクラの間)のエリアを意識して、呼吸しながらからだを動かしながらのハミング。
C#の音であるコーラルレッドの振動は、共依存や子供時代の必要性、感情的な過去、トラウマ(精神外傷)といった課題を刺激する。そんなことするつもりはなかったが、参加者の様子を見て、さらに依存と反依存の傷を意識するエクササイズを行なう。
音のチカラの影響もあって、だれかが言ってたけど、ここまでの展開だけで三日間のワークショップのメインイベントといった内容。といった感じで午前中が終わる。
1日が終わってからユズルさんと会食。今度のワークでは目を緩めることと、狭められた気づき、集中した気づきと広がりのある視野のちがいの体験、緊張しないでビパッサナをしよう・・なんていろいろと相談していて、突然僕は、目の前にいるのがあの「ほんやら洞の詩人たち」の片桐ユズルさんであったことを思い出す。
じゃあいろいろとインビュウしようということで質問をずっとするけど、誰がどうだったかとか、こうだったかというしょうもない質問しか浮かんでこない。
ユズルさんの文章はひらがなが多いけど、それはなぜかという質問には、「漢字を知らない普通の人でも読めるようにしたいから、軍国主義の時代にむずかしい漢字を無理やりおぼえさせられて嫌だったから、等々」おもしろい答えが帰ってきた。
そういえばこの楽天日記で小学生や中学生がたまに訪問してくれている。あんまり難しい漢字ばかり使っていると、読んでくれないだろう。「変換キイーを押してしまうとどんな漢字も使えるけれど、読める字と書ける字が遊離してくると知識と実体験が離れる」とユズルさんが言う。
専門用語を使わない、ということは、グループをしていていつも考えさせられることだが、相手の目線に立って、相手のわかるようにこちらの言いたいことを表現することを心がけてはいるつもりだが、相手に合わせてしまって、こちらの言いたいことではなくて、相手の聞きたいことを言ってしまったりする僕がいる。
わかりやすくを決して、分かり易くとも、解りやすくとも、判りやすくとも、書かないのは詩の作風として美的な観点から、ユズルさんはひらがなが多いと思っていたが、デモクラシーから来ていたとは驚いた。
はなしことばとかきことばの問題、言語と非言語の問題も含んで、頭がグルグルするが、昔、ユズルさんはもう年寄りになったから死んでしまうかもしれないから、それまでにいろいろと話を聞こうとテープで録音しながらいっぱい話を聞いたことを、途中また思い出した。あれからユズルさんもアレクサンダー・テクニックとか瞑想ですっかり元気になって、そんなこと僕もユズルさんも忘れていた。その時も同じ質問をしたかもしれない。
結局たいした質問はできず、連想につぐ連想の質問攻めにもかかわらず、それでも三時間以上めんどくさがらずに答えてくれたし、ケーキもおごってくれた。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/yuzuru/archive/civilianArea.html
片桐ユズルの私のファシズム体験「銃後の少年として」