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カテゴリ:平成
![]() 帝国劇場という名前から想像して、国家権力が虚勢をはるため古めかしい劇場を建てたと思われるかも知れませんが、これは当時の財界人、渋沢栄一や大蔵喜八朗が中心になって造った劇場です。従って株式会社「帝国劇場」は官営ではなく民営でした。 明治時代、近代化は即ち西欧化でしたから、演劇改良運動の一つとして洋式の帝国劇場が建てられたのですが、当時の流行語「欧化改良」という言葉がが示すように、西洋一点張りの西洋式劇場ではなく、和洋折衷の劇場です。 外国人に歌舞伎などの日本の古典芸能を見せると同時に、日本でも西欧のオペラやシェイクスピア劇が上演できるのだという意気込みを示す劇場でした。また、劇場の運営方法もそれまでの芝居見物の方式を止めて、観客サービスを今様に切り替えた初めてのものでした。 その帝国劇場は関東大震災で焼け落ちましたが、残った外郭を元に復旧し、間もなく演劇場として再開しました。しかし、昭和の初期から30年代までは映画の上映館になりました。1966年に解体され新しい帝国劇場が誕生してからは、再び当初のように演劇場となりました。 再開された帝国劇場でも「欧化改良」の精神は生かされています。その証拠に上演するものは今でも西洋演劇やミュージカルが多いです。新装再開されて間もなく上演された「屋根の上のバイオリン弾き」はロングランとなり、帝国劇場の存在を全国に知らしめました。 来年は「マイ・フェア・レディ」「放浪記」と和洋取り混ぜて上演するところも伝統そのままです。 劇場の入り口は横道にありますが、建物本体は皇居に向かってお濠の前に堂々と立っています。帝国劇場が面する内濠通りに立つビルは、風格のあるビルばかりです。米軍占領中に司令部が置かれた第一生命ビルや明治生命館(現、丸の内MAY PLAZA)などの西洋古典風のビルの合間に、谷口吉郎設計になるモダンな帝国劇場は建っています。 (以上) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.14 21:22:47
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