音楽づくし
ゆうべ遅くまでマイルス・デヴィスを聴いていた。 思わぬ処からむかしのカセットテープが出てき、聴いてみたら『枯葉』が収録されているではないか。いつも聴いていたモダンジャズ番組をエア・チェックしたものだ。1988年9月とメモ書きがある。 演奏録音は1964年、Miles Davis(tp), Wayne Shorter(ts), Herbie Hancock(p), Ron Carter(b), Tony Williams(ds)という新編成クインテットによるものだ。それぞれのソロがみごとにつやっぽい。よろこんでそのまま聴き続けた。 そういえばきのうの晩、東京MXテレビでカラヤン指揮のブラームスを放送していたな。「へぇ、めずらしい」と思いながらしばらく見ていた。 そうしたらブラームスはアンコール曲であったと判明。去年の生誕100周年記念放送を再放送していたらしい。 初めてザルツブルクへ行った夏、取材班4人で下見がてら街を歩いているときにカラヤン指揮の演奏会開催を伝えるポスターを見、すぐにチケットを求めたら1枚だけ残っていたことがあった。場所はもちろんザルツブルク祝祭劇場で、演目はグスタフ・マーラーの交響曲第5番だった。 スタッフの許しを得て1枚だけあったチケット(S席!)を購入したものの、ぼくは仕事用のカジュアルな服装しか用意していない。もしもラフな服装を見とがめられたら「旅の者なので……」と述べて入れてもらおうとおそるおそる出かけて行ったのだ。結果、誰も何もいわず、むしろ周囲の観客がよくまぁ日本からというふうな応対で歓待してくれた。 あのときカラヤンは、万雷の拍手を浴びながら5回も6回も舞台に登場しながらついにアンコールをやらなかったものだ。最後の登場では帰宅用にコートを着、鞄を持っていた。 楽屋口で見ていたら銀色のメルセデスに乗り込み、すうっと帰って行った。 東京MXテレビの放送ではあらかじめ予定されている感じで舞台に上がり、ブラームス『悲劇的序曲』を演奏していたよ。 見ていて、ライティングの凝りかたに目を見張った。ヴァイオリンとかホルンのグループショットでは完璧な逆光照明が用いられているのだ。 これはビデオではなくフィルムで撮っているのだと、画面を見ながらつくづく感じ入ってしまったことであった。 そんなことを、よく一緒に仕事をしたカメラマンの大洞陽佑さんに連絡しようとしたら演奏が終わり、番組も終わってしまったのだった。 音楽づくしで書けば、いまこれを書きながら聞いているのは石原裕次郎だ。♪霧が流ぁれてぇと始まるテープをかけたら止めようがなくなった。いいねぇ、♪無事でいるならせめての便り……のくだり。 日曜日のきょうは7時半ごろ起きて、まずコーヒー。 かみさんは仕事に出る準備をしていた。 10時すぎ、そのかみさんに電話がかかった。陽次郎くん同級生の母上からで、卒業式を控えたこの時期の連絡とあれば仲良しお母さんたちによる会食飲み会の打ち合わせだろう。となると、陽くんの友だちはみな受験をパスしたらしいな。もしそうなら、よかったとほっとする。同時に仮に合格できないケースがあってもめげるなよと思う。 もっとも、ぼくはいまの受験状況について何も知らないからうかつなことはいえないか。 飯のあとで石島稔くんに手紙を書く。 グレゴリィ・コルバート(Gregory Colbert)の作品を見せてくれたことへのお礼をあらためて伝えたかったのだ。 多くのひとが見ている映像をぼくは見逃していた。 石島くんはきっちり見ていて、ぼくに教えてくれた。見逃さない暮らしかたをしていることが伊豆に訪ねた日によくわかった。 映像から受けた感銘はいいようもなく、心底、ありがたいのである。 上の写真は彼の「隠れ家」がある伊豆の駅。 夜になると駅員さえもがいなくなる小さな駅だった。