『映画はやくざなり』 がおもしろい
8時半起床。 土曜日の朝寝坊が繰り返されるようになった。 朝めしを食べながらTBSラジオを聞く。 永さんの番組に玉橋さんという聖路加国際病院のナースマネージャーがゲスト出演。この人の話からぼくは、聖路加国際病院が決して患者を断らず、どのひとの診察依頼も必ず引き受けるという方針を守っていることを知った。 問われると「待っていただきますが、必ず診察いたします」と答えるそうだ。 だから待ち時間が深夜に至ることもある。それを「零時越え」、あるいは「12時越え」と呼ぶという。からだの具合が悪いのに診察を断られる患者にとって、それがどんなにありがたいことか、ぎりぎり状態で病院に駆けつけたことが何度かあるぼくは心底そう思うぞ。 深夜の診察となると医師も看護師もたいへんだが、玉橋さんは「労働時間は8時間をとっくに越えますが、断らないでやってます」と明快に話してくれた。 また、聴取者からのファッション相談にピーコさんが答えるコーナーが面白かった。 かつてわが家の子ら2人もやっていた「ヒップ・ハンガー」について「あれは見苦しい、何とかならないものか。ピーコさんはどうお考えですか」という問い合わせがあり、ぼくは同感だぜと思いながら聞いていた。 この回答にピーコさんは、いきなり「アメリカ映画をずうっと観てくると分かるけど……」という。 で、たとえばねという感じで映画『ローマの休日』で新聞記者に扮したグレゴリー・ペックのファッションに触れ、ズボンの股下に余裕をもたせて穿いていたという。 記憶をたどるとたしかにその通りで、アメリカ映画を観るかぎり彼らは股下をぴったり合わせずにズボンを穿くのが慣習となっていると考えるのがいい、というのだ。 もちろん話は、あのひとたちは背が高く足も長く、だからヒップ・ハンガーが似合うというところに落ち着くわけだ。日本人は背が高くはなく、足も長くなく、要するに似合わない。 似合わない格好をするのが彼ら若いヒップ・ハンガー連中の意図的な狙いなのだというのが回答なのだが、そんなことをする奥には世間に対する反抗心があるのだろうともいう。 「校則の通りにしないのが目的なのよ、高校のころのわたしたちだってそうだったじゃない」。 太もも丸出しのスカートを穿くのもそうよ、なまじ校則なんかがあるから反則を冒したくなるのよ。 見苦しいこと自体が目的のファッションなのだといわれれば、そりゃまぁ、その通りだと思う。 ははぁ、うまいことをいうなぁ。 ヒップ・ハンガーについてしゃべるに際し、アメリカ映画をもってくるのは見事。映画『ローマの休日』か。 グレゴリー・ペックの新聞記者か。 なるほどねぇ。 午後、図書館に行った。 きもちのいい天気なので昼過ぎに出かけようと思ったりしたが、出かけたのは4時すぎだった。 上の写真はそのとき撮った。 毎日つかう病院前のバス通りに信号塔ができかけていた。 横断する際にいくぶん待たされることになるけれど子どもたちは安心できるだろう。このところ急にこの道を通るマイ・カーが増えたから。 図書館ではまず、予約していた佐藤優著『功利主義者の読書術』(新潮社)を受け取る。 次いで、小林信彦の著書を探す。 小林信彦中毒の症状が消えないのだ。ほかの何も見ないで小林信彦の本が並ぶ棚の前に立ったけれど、単行本はすべて読んでしまっているものばかり。で、文庫の棚へ移動し『決壊』(講談社)など2冊、借りてきた。 それはそうと、いま読んでいる映画の本もまた、じつにおもしろい。 笠原和夫著『映画はやくざなり』(新潮社)のことなのだが、小林信彦さんの本を3冊ほど続けて読んだあとで何を読もうかと思い、部屋の隅に重ねた本の山から著者名も表題もわからないまま適当に引っ張りだしたのがこの本だったのだ。 ま、かつていちどは読んでいる本なのだけど、小林信彦中毒に罹った状態で読むとひときわおもしろい。たとえば『仁義なき戦い』の脚本にとりかかるときの悩みかたなど、著者の実感がじつによく伝わってくる。 かなり前に出た本だが、映画づくりの本質を知る上でもいま読むことを薦めたい。