カテゴリ:鑑賞全般
気温は聞かなかったがここしばらくは西高東低の冬型気象が続くと天気予報が伝えていた。 気圧はどうなのだろう、呼吸が苦しいが。 朝めしはカルピス・バターと蜂蜜を塗ったトーストにコーヒー。 熱いコーヒーがたいへんうまい。 かみさんが早番なのでバス停まで一緒に行く。 彼女は昨夜よく寝て元気そうだ、見ていてほっとする。 横断歩道の処で息が上がり立ち止まって信号柱に寄りかかってしまう。その姿勢で前を見ると東のそらが見える。バス通りが右へ湾曲しており、その真上が朝日で薄桃色になってきた。 心なしか日の出が早まっている感じ。 かみさんと手を振り合って別れて3分、バスがきた。 このわずかな時間に感じる寒さがからだ全体を固めてしまう気がする。 バスが走り出してまもなく、石川入口手で救急車とすれ違う。 かみさんがかかわる患者になるのかも知れない。 大和田橋の上で信号待ちとなり、日の出直前の浅川を眺めていた。 駅に6時55分着、これなら通勤快速に乗れるなと安心しながらゆっくりプラットホームに下りた。 高井戸駅からきょうはバスを利用した。 だらだら坂があったり、10分以上は歩くとわかっていたりすると何よりもまず呼吸の具合を考える。決して歩けないことはないのだが最近は途中で立ち止まる場合が多いのでバスに乗るほうがいいのだ。 オフィスに入り青戸さんと、きょう府中で映画を観ようと決めた。 昼休み、ちょうどかみさんに今夜は遅くなると連絡したすぐあとで青戸さんが携帯で座席予約を済ませたことを知らせてくれた。 業務は不備書類の再チェックなどいろいろ。 矢島妙子さんと田野入美樹さんが青戸さんのレクチュアを受けていた。2月から諸変更をやるわけだ、2人ともよかったね。 帰り道をゆっくり歩きながら、府中に着いたらISETANで何か食べようと考える。ふと牡蠣フライが浮かび、つぎに熱いうどんが浮かび、麺からの連想でラーメンが浮かんだ。9階のグルメ・ダイニングで出す「ラーメンともちもち餃子セット」はうまいからなぁ。 京王線が府中に着き、ゆっくり歩いてISETAN9階に行ってみたら、南欧料理AGIOの店頭案内で「牡蠣がおいしい季節」とあったけれど、写真入り看板メニューには牡蠣フライがない。 ぼくがそのとき思い描いていたのは上質の油でふわりと揚げた牡蠣フライだった。牡蠣は肉厚で口に入れると熱々、フライの衣をかむとじわんと汁が出て口中にひろがり、それがタルタルソースと混じり合う。おおうまい、と感じるあの瞬間を味わいたいわけだ。牡蠣フライなら何でも良いというわけではないのだった。 そのためソースの案配などがわからないまま知らない店に入る気になれず、けっきょくグルメ・ダイニングに入って「あっさり塩ラーメンと炒飯セット」というのを食べた。 食べながら本を読む。 読んでいたのは前田絢子著『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』(角川書店)で、これは去年いちど読んだ本なのだが目下再読中。 エルヴィス・プレスリーの成功と米国南部の音楽史が同時並行的に描かれる内容で、ブルースが好きな読み手を夢中にさせる。 食べては読み、読んでは食べ、いつの間にかデザートの杏仁豆腐まできれいになくなっていた。青戸さんとの待ち合わせ時刻まではまだたっぷり時間がある。 コーヒーを飲んで読み続けた。 読んだ中の一部を引いておきたい。 ドワイト・アイゼンハワー大統領によって任命されたアール・ウォレン(Earl Warren 1891~1974)連邦最高裁長官が、1954年5月17日に読み上げた判決文である。 「ただ単に皮膚の色の違いによる分離教育は、マイノリティー・グループの子供たちから平等の教育のチャンスを奪うものである。教育の場に於いては、分離されども平等の原理は成り立たない。従って本法廷は、原告が憲法修正第14条によって保障された平等保護を奪われたとする訴えを認めるものである」。 いきなりこうした文章をブログに書いても何のことやら分からないかも知れないけれど、ウォレン長官によるこの判決がエルヴィス・プレスリーの評伝を読んでいて欠かせない社会状況をいい当てていることになるのだ。 オリヴァー・ブラウンという牧師にして鉄道溶接工だった黒人が提訴したいわゆる「ブラウン対トピーカ市教育委員会事件」として知られる裁判を追うこのくだりを読んだとき、ぼくは、ことが1950年代半ばに起きていることとアール・ウォレンの名、そしてつぎのように描き出されるテキサス州メンフィスの状況を覚えておこうと考えたのだった。 「メンフィスのポプラ通りにあったレコード店『ポプラ・テューンズ』には、中南部の流行を作り出すような影響力を持つ人々が集まった。デューイ・フィリップスも、毎日のようにここに立ち寄っては、おしゃべりをしたり、新しいマテリアルを探したりした。レコード・プロデューサーも、野心的なミュージシャンも、音楽好きな消費者も、熱心にポプラ・テューンズに足を運んだ。エルヴィス・プレスリーは、そのなかでも最も熱心な一人だった」。 ……店から映画館に向かう途中でそらを見上げたらでっかく丸い月が出ていた。 上の写真がそれ。 満月かどうかはわからないが、みごとに丸く、明るかった。 青戸さんと無事に落ち合え、映画『ソーシアル・ネットワーク(The Social Network 2010)』を観た。 SNSのFacebook創設をめぐる実話に基づくネットワーク業界の物語である。 トップ・ショットからずうっと喋りっぱなしの脚本が、まず、すごい。 映像化もうまい。 黒い画面から始まりハーヴァード大学内の酒場にフェイド・インする冒頭場面から丸2時間、まばたきもしないで観ていた気がする。 監督はデヴィッド・フィンチャー(David Fincher)。 脚本家はアーロン・ソーキン(Aaron Sorkin)。 機会があったらこの脚本をじっくり読みたいものだ、と、帰りの電車の中で思っていた。 そうしたら、何とおどろくことに、サイトで読めるのだった(!)。 「コンピュータ時代」ということばがむかしあったが、ぼくは、PDF化された映画『ソーシアル・ネットワーク』のシナリオを画面で読みながらそのむかしのいいかたを実感していた。 上記URLへジャンプすればわかることだが、タイピング原稿がそのまんま載っている。 さまざまな映画で観るような、作家がシナリオを執筆しているようすが画面の向こうに見えてくるようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.01.26 23:19:56
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