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テーマ:日本人の誇り(299)
カテゴリ:国民の常識、メディアの非常識
今回は、終戦記念日になると真夏の風物詩のように、マスコミが総理他、国会議員の靖国神社参拝の有無を報道する様になった経緯に触れたい。火のない所に煙を立てたのは、朝日新聞である事を立証する。
1.東南アジアで国会議員の靖国参拝に文句を言っているのは、中国と韓国岳だけ よく新聞等の社説に出るのは、「東南アジアの人々の神経を逆なでする」と言った類だが、タイ、インドネシア、シンガポールあたりに、国会議員が外遊して理解を求めようとすると、「戦没者の霊を弔うのは当然」と言われることが多いが、こういう報道を朝日新聞は絶対書かない。アジアと言えば、中韓だけと日本国民に思わせておきたいからだ。アジアには40か国あると聞いているから、中韓でわずか2/40で5%の国に過ぎないにも拘わらずだ。 2.かつては朝日新聞も首相が公式参拝を何ら批判していない 小泉氏が首相の時に、靖国公式参拝をすると必ず、社説等で朝日が述べるのは次のような内容だ。「首相の公式参拝は、戦後56年経っても癒えない中国・韓国の人々の心の傷を逆なですることになる。」 だが戦後40年(昭和60年)までは、「心の傷」などは世界のどこにも存在していなかった。昭和26年10月、サンフランシスコ講和条約調印を終えた吉田首相は、秋の例大祭に参拝した。まだ占領下だったので、首相の参拝は許されなかったが彼は参拝した。当時の朝日は次のように伝えた。「秋の例大祭第一日の夕、吉田首相が参拝した。(中略)昭和20年10月23日、時の幣原首相が参拝して以来、首相が公の資格で参拝したのは6年ぶりであった。」 ちゃんと公式参拝としているが、全く咎めていないし、「公式」「私的」なんて区別する感覚が当時はなかったのだ。以降、吉田、岸、池田、佐藤、田中各首相が計27回参拝している。それに中国、韓国が反発することなど一切なかった。 3.昭和50年に三木首相が「私的参拝」と言ってからおかしくなった 日本の言論空間は60年安保、全共闘運動を経て左翼に占領され、2千万もの署名を集めた国民の悲願「靖国神社国家護持」の法案はゆがめられた末、昭和49年に廃案となる。翌年、三木首相は、終戦記念日に参拝したが、左翼に媚を売り「私人」と言ってしまう。左翼にエサを与えたことになり、社会党・共産党は「憲法違反」と騒ぎ、マスコミが靖国の前で「私人か公人か?」と聞くのが夏の風物詩になった。忘れてはいけないのは、それまで数年おきに行われていた天皇陛下の靖国御親拝も、この年以降行われなくなった。天皇陛下に私人としての行動などないからだ。 4.A級戦犯合祀以降も中韓は騒いでなかった 昭和53年(1978年)、いわゆるA級戦犯14柱が靖国神社に合祀された。山崎拓がこの合祀があったから、中国が反発したといっているが大嘘だ。これ以降も大平、鈴木、中曽根各首相が計20回参拝しているが、反発したのは国内の左翼勢力で、中韓は反応していない。 少し長くなったので今日はここまで、近日中に朝日新聞の罪を明らかにしたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
September 25, 2013 01:37:31 PM
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