八戸三社大祭 起源について1
またまたご無沙汰の投稿となります。独り言も言いたいこと書きましたので、一息いれまして、今回は八戸三社大祭についての起源と歴史を勉強してまいりたいと思います。ブログでも八戸三社大祭の歴史とか神事とか書いてますが、私は郷土歴史家とかではないので、一般的レベルだと思いますが、どこまで掘り下げれるか解りませんが、お付き合いください。それでは、八戸三社大祭の起源についてです。今から約286年前の享保6年(1721年)長者山虚空蔵堂(現長者山新羅神社)を御旅所とした法霊社(現おがみ神社)の神輿渡御に始まるとされます。享保5年・・・・・夏が近づいても天候に恵まれず、八戸町の有力商人達は法霊大明神に祈願し天候が回復した暁には祭礼を行なうことを誓ったとされます。すると無事に秋の収穫を迎えることができたので、法霊神輿の渡御の許可を八戸藩から取り付け、藩士から町民にいたるまで、一人につき十文の寄進により神輿が建造され、享保6年旧暦の7月19日に法霊神輿が初めて行列を整えて上通りを通り長者山へ到着し、神輿は新羅神社内の御職所(御霊屋)に納まり、3日目に下通りを通ってお還りになったとされます。新羅神社ではこのお礼の意味で行列を整えて送ったのがはじまりとされます。 (八戸市観光コンベンション協会 八戸三社大祭公式ガイドブック) (山車ものがたり)より参照 この起源とされる「おがみ神社」八戸三社大祭の初まりは「おがみ神社」からとされます。起源とされる要点は上記青文字にある、有力商人の祈願とされる祭礼・・・・そして八戸藩としてのお祭りであった事。(城の中に神社があったそうです)元々は「おがみ神社」一社のお祭りであった事。そして長者山へ渡御した事と3日目に還る事。であると思います。3日目に還るというと、現在の八戸三社大祭の日程は前夜祭 お通り 中日 お還り 後夜祭7月31日 8月1日 8月2日 8月3日 8月4日 お通りはおがみ神社の神輿が新羅神社へ向われる行列 お還りは新羅神社からおがみ神社の神輿が還られる行列 昔からの3日目に還る日程は変わりありませんね。そして、旧暦の7月19日とありますが、今の暦ですと昨日の9月2日。この日は「おがみ神社例大祭」が行なわれています。八戸市民はこの例大祭を知っている方はほとんどいないと思います。私は昨年のミニ山車勉強会で「おがみ神社」坂本宮司様より八戸三社大祭の起源と歴史について中学生と一緒にご説明を頂きました。その中で、おがみ神社では、現在の八戸三社大祭の大祭と旧暦からの9月2日の大祭を行なっているとのお話がありました。私は始めて聞く事であり驚いたのですが、この「おがみ神社例大祭」に八戸三社大祭の起源を知り、感じる何かがあるのではないか?きっとそこには八戸三社大祭の「コア」があるのではないのか?と・・・そして。。。。昨日の9月2日私は「平成19年度 おがみ神社例大祭」へ参拝にいくのでした。