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白山菊理姫

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2006.03.24
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カテゴリ:メディア
▼富山の正力11(正力とハースト1)
勝てば官軍負ければ賊軍である。読売新聞の経営に成功すれば、自分の汚点は過去に消えると考えたのだろう。東京市長になる夢をあきらめた正力は、名誉挽回とばかりに読売新聞の部数拡大に奔走する。警視庁官房主事時代に政界工作で知り合った近衛文麿の協力を得て、全国の名家に残る秘蔵の逸品を一堂に集めた日本名宝展を開催・成功させ、反撃の狼煙を上げる。

しかし読売新聞の部数増大に最大の貢献をしたのは、1931年9月18日の満州事変によって始まる15年間にわたる戦争であった。戦争を拡販の好機ととらえた正力は、これまで出していなかった夕刊を発行。センセーショナルに書き立てる手法を積極的に導入、確実に部数を伸ばしていった。同時に、他社の優秀な人材を引き抜くなど次々と攻勢をかけた。

1929年に報知新聞から読売入りした務台光雄も、部数拡大に大いに貢献した。務台は後に「販売の神様」との異名をとる、読売に欠かせない人物となった。

この新聞業界の過当競争に起因したセンセーショナリズムは、まさにアメリカで発生したといえるものであった。しかも、米メディアの手法と正力のやり方は非常によく似ている。もっとも有名な事例は、19世紀末のアメリカ=スペイン(米西)戦争のときだ。

当時のアメリカ新聞業界は、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの「ニューヨーク・モーニング・ジャーナル」と、ジョゼフ・ピューリッツァが経営する「ニューヨーク・ワールド」が熾烈な競争を繰り広げていた。ハーストはオーソンウェルズ監督の名作映画『市民ケーン』のモデルとなった俗物的人物で、ピューリッツァはジャーナリズムのアカデミー賞と呼ばれるピューリッツァ賞を設立した人物である。

ハーストはピューリッツァの「ワールド紙」から連載漫画作家をヘッドハンティング、自分の「ジャーナル紙」で人気キャラクター「イエロー・キッド」の連載を強引に始めてしまう。これに対しピューリッツァは模写の上手な漫画家を雇用、意地になって「イエロー・キッド」の連載を続けた。

これをきっかけに両紙は、ちょっとした事件でも扇情的に書き立てて競うようになった。このため世間では、拡販のためにニュースを誇大して伝えるメディアを「イエロー・キッド」の名をもじって「イエロージャーナリズム」と呼ぶようになったのであった。
(続く)





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最終更新日  2006.03.24 09:26:38
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